2000 夏合宿 北アルプス    

欅平〜剣岳(劔岳)・立山三山(大汝山・富士ノ折立・雄山)
・薬師岳・黒部五郎岳・双六岳・槍ヶ岳・穂高(北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳)
・西穂高岳・焼岳〜上高地

2000年(平成12年)8月26日〜9月6日

※ご意見・ご感想をお待ちしております! → web@kasai.fm


【第1話】 雪渓のトンネル抜けて  〜8月26日(土)〜


天気
快晴。唐松、五竜の頂上付近が時々雲に隠れていた

行程
 魚津-(富山地方鉄道)-宇奈月-(トロッコ電車)-欅平(けやきだいら)-欅平-0:35-稜線出合-0:43-水平道始点-1:05-志合谷の雪渓トンネル-2:18-阿曽原小屋C1 [4:51]
 (ザック重量 … 35キロ程度)

幕営可能点
 (1) 阿曽原小屋
張数    30程度(6テンの場合。以下同様)
張る場所の指定    なし
地形    西側に崖。東側に谷。土の上。平坦地
ペグ    刺さりやすい
風    東風を受けやすい
虫    トノサマバッタと蟻が多い。蚊は少ないので線香は不要
小屋まで    剱側に徒歩1分
水場まで    徒歩20秒以内。水道と流し台有り
気象通報    入りにくい。事前に少しでも入りやすい場所を探ると良い

水場
(1) 欅平駅プラットホーム    水道
(2) 志合谷の雪渓トンネル入口(欅平側)    沢
(3) オリオ谷過ぎの沢出合    滝と沢
(4) 阿曽原小屋手前の鉄塔直下    沢(少量)
(5) 阿曽原小屋    水道、流し台付き

電話
(1) 欅平駅    硬貨・カード併用公衆電話
(2) 阿曽原小屋    緊急用山岳無線

小屋
(1) 阿曽原小屋   有人。人の良さそうなご夫婦が経営している、という以外詳細不明。

その他
(1) 阿曽原温泉     阿曽原小屋から徒歩5分の所にある温泉。
 利用する場合、小屋に料金300円を支払う。
 男性専用、女性専用が時間帯により決まっている。時間帯は小屋宿泊者の都合によって決まる。つまり日によって違うので、テント利用者はあらかじめ小屋で確認する必要がある。
 湯船はコンクリート製で、10人は入れる広さ。周囲にスノコと洗面器が散乱している。浸かりながら、唐松、不帰キレット、五竜が眺められる。
 給湯線と給水線の両方が近くにあって、こっちの都合で勝手にうめたり暖めたりできる。

 8月下旬の列島。
 お盆も過ぎたというのに、トロッコ電車の始発駅、宇奈月駅は、ラッシュ時の京浜東北線並の人の入りだった。列車が定員制なので、車内までその喧噪が及ばないという点が、都心と異なる。

 定員の上限は、1編成あたり、4人席×9列×12両=432人程度。
 途中停車駅は、くろなぎ、ささだいらの2駅のみで、ほとんどが通過駅だ。上り列車との行き違いのみ行われる。
 運賃は、大人片道1440円。普通車の他に、「リラックスカー」「特別車」などのカテゴリー(要追加料金)があるが、普通車の方が乗っていて楽しいだろう。
 幅1.5メートル、長さ10メートル弱の車両に、横長4人掛けの座席が9列備わっている。
 窓はなく、そもそも壁がない。外と車内は鎖で仕切られている。腰の位置から天井まで、窓も壁もない。座席に背もたれがないので座り心地はいまひとつだが、展望はすこぶる良い。
 追加料金のかかる車両は、これに対し、完全な箱なので、居心地や空調は良いだろうが、五感に訴えるものはそれだけ感じられなくなるはずだ。
 車中の天井には薄暗い蛍光灯とスピーカーが取り付けられており、スピーカーからはひっきりなしに観光ガイダンスが流れている。おかげで周囲の状況がよく分かる(地名の由来に詳しくなれる内容だ)。

 この鉄道は昔、ダム事業専用の軌道敷だったらしく、登山などの目的で便乗させてもらいたい場合、「命の保証はしません」と書かれた切符を買わされていたらしい。
 それにしてもカーブが多く、というかカーブしか出てこないので、常にフランジからはキィーキィーと金属音が響いてきている。

 進行方向右手が黒部渓谷。左手が壁。途中で逆転する。
 左手にはずっと、「冬季歩道」と銘打たれたトンネル道が走っている。雪崩の心配をせずに欅平まで歩いていけるようになっているらしい。

 終点の欅平駅には、水、トイレ、公衆電話、売店がある。自販機のジュースは130円。

[欅平〜阿曽原小屋]

 駅のコンコースを出て、登山案内板に書かれた「猿飛峡」の文字に従い、コンクリート道を歩く。10分ほどで、「廻遊道分岐」の看板が目にはいる。ここで舗装路は終わり、登山道を登り始める。鉄製の小さな階段や、木の根っ子を手掛かりにしばらく行くと、稜線に出合う。風景は全く、低山歩きのたたずまいだが、ここが北アルプスに直結していると考えると、懐の深さが感じられる。
 なお、「廻遊道分岐」の地点を、そのまま「猿飛峡」のほうへ行くと、道は行き止まりになってしまう。終点には東屋があり、滝のしぶきを受けながら風光明媚。

 志合谷の出合は、万年雪に覆われている。登山道確保のため、谷をトラバースする形でトンネルが穿たれており、ここを通過する。長さ約200m。
 中に照明設備はないので、懐電行動する必要がある。
 天井の高さは2m程度なので、背の高い人やザックの場合、ひっかかる事がある。なにしろ雪渓の下で、壁や床は常に水浸しなので、濡らしたくないものはザックにしまい、ザックカバーをつけておくと良いだろう。
 通常の懐電行動と違い、明るい所からいきなり暗い所に入るため、目が暗闇に慣れず、ぼくのように気の弱い人だとパニックに陥る。
 ひとりで抜けるのはかなり怖い。抜けた後の安堵感がたまらない。

 水平道は全般的に、仕上げの雑なコースという印象を受ける。
 石が結構出っ張っている。地面から出っ張っているだけならまだしも、たまに天井からも出っ張っており、これにザックが引っかかると大惨事になる恐れもある。
 走りたくなるくらい水平な道なのだけれど、下山時に「下山パワー」などと抜かしてここを走り抜けたりするのは自殺行為だから止めた方が良い。
 ずっと一本道なので迷うことはない。1キロに1カ所くらいの割で、谷底や稜線に向かって、関西電力の鉄塔保守用の道が分岐しているが、発狂したり錯乱したりしない限り、ここへ迷い込むような奴はいないだろう。

 小屋は、1キロくらい手前から視界に入る。露天風呂も、双眼鏡やオペラグラスを使えば簡単に視野に入れられる、と思われるので、女性の方は、入浴時間帯にご注意。

【第2話】 憂鬱は二度寝で  〜8月27日(日)〜


天気
晴れ。12時過ぎから白馬〜唐松は積乱雲の中。テンバにて夕立。
しかし夕焼けは拝めた。

行程
 阿曽原小屋C1-0:43-阿曽原峠-1:43-仙人小屋-0:38-雪渓出合-1:17-仙人池ヒュッテ-0:12-池の平への分岐-1:03-二俣-1:05-真砂沢ロッジ [6:41]
 (ザック重量 … 不明)

幕営可能点
 (1) 真砂沢ロッジ
  張数 … 40程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 正面に雪渓。やや石の多い平坦地
  ペグ … 時々(3回に1回くらい)石に邪魔される
  風 … 雪渓から冷たい風が吹き降りてくる
  虫 … あまり気にならない
  小屋まで … 30秒以内
  水場まで … 徒歩30秒以内。水道と流し台有り
  トイレ … 小屋の脇にある
  気象通報 … 入りにくい
 (仙人小屋、仙人池ヒュッテは幕営禁止)

水場
 (1) 仙人温泉に至るまでの間、何カ所か … 沢(少量)
 (2) 仙人小屋 … 水道、流し台付き
 (3) 雪渓出合〜仙人池ヒュッテ間、何カ所か … 沢(少量)
 (4) 二俣〜真砂沢ロッジ間 … 沢(ただし水質不明)
 (5) 真砂沢ロッジ … 水道、流し台付き

電話
 (1) 仙人池ヒュッテ … 緊急用山岳無線
 (2) 真砂沢ロッジ … 緊急用山岳無線

小屋
 (1) 仙人小屋
  有人。の筈だがひとけがなかった。芸北の農家風で、ジュースや冷や麦を売っている。双眼鏡が無料で使用でき、白馬〜唐松が一望できる。トイレと水場。そして温泉がある。温泉は有料だと思う。
 (2) 仙人池ヒュッテ
  有人。近くに仙人池という池があり、ここは剱岳眺望の名所。
  どす黒い池に映る地獄のような剱の座に、忘れがたい印象を受ける。
  稜線上の小屋だが、近くの沢にポンプが備え付けられており、そこからホースが延々小屋まで伸びていたので、ひょっとすると宿泊者には無料で分けてくれたりするのかもしれない。トイレがある。
 
 (3) 真砂沢ロッジ
  有人。小屋のバイトの兄ちゃんは、話しかけても返事もしてくれない。
  3回くらい呼びかけた所で、同僚らしいバイトの人がもう一人現れて、「いやあすみません。こいつ愛想悪くって。勘弁してくださ〜い。テントですか? はいはい。1泊500円になります」と愛想良い。
  トイレと水場が利用可能。トイレは水洗で、沢から引き込んでいるとおぼしき水流が、常時便器の下を流れているのが見えた。
  どこに排出しているか怪しいので、真砂沢の水質には疑問符が付く。

 3:30。テントの天井に吊しておいた腕時計のアラームで目を覚ます。腕だけ伸ばし止めた。起きる気にならない。嫌なことばかり思い出して気分が乗らない。一昨日起こった、人生の核爆発のような出来事が、目を覚ました瞬間から、全く頭を離れない。嫌々してすぐに二度寝を始める。

 4:50、今度は自然に目が覚める。テント内の様子がモノクロで分かる程度に、空がほんのり明るくなり始めていた。
 月食のようにくっきり欠けた三日月をカメラに収め、棒ラーメンを食べる。
 しかし食べ終わっても、撤収する気分にならない。
 眠りの世界に落ちて、せめてその間だけでも忘れられないかと思い、三度体を横たえた。潮が引くように気分が楽になり、すぐまた深い眠りについた。

 6:30、三度目の起床。テントを畳んだ。遙か高所の稜線は、既に朝日を浴びて暑く輝いていた。いいかげん登り始めないと、と、半ば義務的な心持ちで、テントを撤収した。

[阿曽原小屋〜仙人温泉]

 今日はのっけから、阿曽原峠までの急登から始まる。まだまだ荷が重いのも加わり、景色がほとんど印象に残らない。足下ばかり見て歩いていたので、辺りに巣くう虫共をたくさん見掛ける。白い体と足をした大きな蜘蛛が、木々や草木の間を、あっちこっちを歩きまわっていた。

 既に今日一日の仕事を終えたような汗のかきかたをして、阿曽原峠にたどり着く。ここの峠が、今山行初の、「逃げる峠」だろうか。つまり、到着するはるか前から、木々の切れ目から空が見えて、「ああ、もうすぐやんか」と登山者をして錯覚させる峠の事です。
 峠から30分ほど歩くと、登山道は稜線の樹林帯を逸れ、すみずみまで雪渓が入り込んだ、というか溶け残った谷間へと入り込んでいく。

 どうも、仙人温泉へ続く従来の登山道が工事中で、雪渓の上に予備の迂回ルートが設定されているようだ。この分岐には案内板がある。内容をよく読んで記憶するか、デジカメに撮影して適宜参照しながら進もう。
 看板の位置から5分で雪渓の上に乗れる。乗った所は谷の左岸になるが、まずここを上流の対岸、つまり右岸に向かい登る。
 雪渓は土で汚れ、かつ窪みがいっぱい穿たれているので、上り坂でもフラットな部分を見つけるには苦労しない。蹴るようにして歩いてゆけば(キックステップ)、山スキーでシールを雪面にたたきつけて登ると同様、極めて安定した歩調で登ってゆける。ただしそれは登りに限った話で、下りはやっぱり怖いと思う。アイゼンがないと大きくスリップするかもしれない。

 というわけで、ルートファインディングを誤りルートを外れると、引き返すのにえらく骨が折れる。

 右岸を300メートルほど登ると、進行方向右手に大きなクレバスが見える。こいつの上部を横切って再び左岸に戻る。これまで登ってきた谷の左岸から、もう1本枝沢が延びているので、今度はその枝沢の右岸に沿って100メートル登る。
 そのあたりから、谷からそれて尾根筋に向かって登れるようになっている。赤テープと赤ペイントがあるので、そいつを目印に…

 尾根を乗り越えると、再び雪渓の縦断になる。
 距離100メートル程度。始点と終点には同様に赤ペイントがある。滑りやすいのは前の箇所と同様だが、滑っても傾斜が緩いのでこちらはそれほど危険でない。
 この雪渓を越えてしばらく--といっても20分程度--歩くと、仙人温泉に着く。

[仙人温泉〜仙人池ヒュッテ]

仙人温泉から先はきちんと赤線、つまり地図の点線上を行く。
 次の沢と出合う手前にも雪渓があり、こちらは幅20メートル程度なので簡単に越えられる。むしろ、ここまで来る間に体に蓄積された熱地獄をふりはらってくれて快適。そう。雪渓の上は、ともすれば寒いくらいです。

 標高1800メートル付近から、素人目でも分かるくらい植生が変化してくる。
 沢づたいは、ワラビ、ゼンマイ、ヒキガエルの宝庫になっている。気をつけないと踏んだり掴んだり目が合ったり。
 また、この1800メートル付近には、沢を高巻いて進む副ルートが随所に現れる(計4箇所)。ペイントもそちらを指している。増水時に備えた措置だろうが、平水時は体力を消耗するだけなので、ずっと河原を歩く方が快適だ。

 仙人池ヒュッテに至る最後の登り、具体的には沢を離れてから小屋に着くまでの間は、結構な急登だ。最後の方は急登は一段落するが、続く平坦な道はつづら折れで、なかなか小屋が見えてこない。勘弁して欲しい。しかし、最後の平坦地から背後を振り返ると、地獄のたたずまいの剣岳の山容に、忘れがたい印象を受けるだろう。剱沢から見るとでは、形がかなり異なっており、別の山のようだ。
 小屋の玄関前が、池ノ平、二俣への分岐だ。仙人池まで行くと道が行き止まりになっているので注意。
 仙人池は小屋のすぐ近くにあり、東側が開けた地形から察するに、晴れた日の、朝焼けに映える剱への眺望は、きっと一級品だろう。

[仙人池ヒュッテ〜真砂沢ロッジ]

 池ノ平への分岐は、看板(焦げ茶の四角柱、高さ50センチ)の150メートルほど先にある。看板の所にも分岐があるが、これは、15メートル先のしげみの中にトッペが放置された典型的なキジ道であり、すぐ収束している。
 分岐から二俣まで、急な下り道である。ただし、細々した樹木が密に生えているので、手掛かりは多く、荷物が重くても安心。

 二俣には吊り橋が架かっている。いつ流されて消えてもおかしくない規模だった。設計上の重量制限の為、一人ずつしか渡る事ができない。
 橋から先、南俣と呼ばれる枝沢に入る。本流の名称「真砂沢」が語る通り、川岸を埋める砂は、片栗粉のように白く、きめが細かい。黒い苔と砂が混じり合って分布する様は、砂漠を舞台にしたジオラマのようだ。
 増水時に備え、高巻きになっている所もあるが、平常時は河原を行っても大丈夫。ずっとペイントによる誘導がある。

 一箇所だけ、高巻きに三点確保の必要な所がある。20手で抜けられた。落ちたら滝壺へ沈む。
 岩のサイズは大きめで、直径1メートルのものはざらに落ちている。沢登りにおける「河原歩き」のアビリティを身につけていると体力の消耗が少なくて済むだろう。トップには沢経験者を。


【第3話】 剣沢雪渓血だるま落とし  〜8月28日(日)〜


天気
未明雨。午前9時頃まで曇り。剱登攀時は頭上はカンカン照りで周りはガス

行程
 真砂沢ロッジ-1:50-剱沢小屋手前分岐-0:10-剣山荘-0:22-一服剱-0:33-前剱-0:54-剣岳-0:47-前剱-0:18-一服剱-0:10-剣山荘-0:15-剱沢小屋手前分岐-0:15-剱沢小屋 [6:34]
 ( ザック重量 … 不明 )(剱沢小屋手前分岐〜剣岳間はサブザック行動)
 (肋骨の痛みのため、剱ピストンの始点から先はスピード遅めと思う)

幕営可能点
 (1) 剱沢小屋
  張数 … 100程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … やや石の多い平坦地。こころもち傾斜あり
  ペグ … 刺さりやすい
  風 … どの方位からも受けやすい。岩陰や防雪壁の脇を確保すると良い
  虫 … あまり気にならない
  小屋まで … 最大で3分
  水場まで … 徒歩1分以内。幕営管理所脇とトイレのそば
  トイレ … 小屋と幕営管理所の中間点にある。要チップ
  気象通報 … 普通に入る
  その他 … 朝日を浴びる剱岳、夕日に沈む真砂岳などの良い撮影ポイント
 (剣山荘周辺は幕営禁止)

水場
 (1) 剱沢雪渓の道中、何カ所か … 枝沢(少量)
 (2) 剣山荘 … 水道
 (3) 剱沢小屋 … 沢と水道

電話
 (1) 剱沢小屋 … 衛星電話(支払いは小屋に現金で)



小屋
 (1) 剣山荘
  有人。ジュースや食い物を確保できる。
  これといった特徴はなく、カレーが旨いということ位だろうか。
 (2) 剱沢小屋
  有人。大規模な小屋。お盆を過ぎた閑散期でも、剱岳登山の基地として、人が大勢訪れている。若者も多い。女子高生14人の団体という、このご時世かなりレアもんのパーティーにもお目にかかれた。
  幕営はここではなく、谷を挟んで反対側にある幕営管理所に申し込む。
  小屋から徒歩2分だ。受付時、パーティー全員の氏名と今後の行動予定を子細に記入させられるので、大人数で行く場合、
  パーメン表のコピーを持っていくと良いだろう。
  記念品にキーホルダーをくれる。ノートパソコン(iBook)で宿泊者管理業務を行うという近代的な小屋だ。
  テンバからは、剱岳が一望できる。

[真砂沢ロッジ〜雪渓終点]

 真砂沢ロッジのすぐ傍らまで、大きな雪渓斜面が迫っている。今日は、この雪渓歩きから開始である。
 傾斜は、登山道の急登に比べればユルユルだが、これ以上急になったらアイゼンがないと登れないだろう。ただ、始めから終いまでずっと均一な傾斜ではなく、場所によって急だったりそうでなかったりする。だからうまくルートファイルディングすると、ものすごく楽になる。
 しかし昨日同様、アイゼンがないと、ルート間違えても気軽に引き返せないので、安全を優先したい場合、ずっと左岸を行くと良い。右岸は、所どころ雪渓がスノーブリッジになっていてあまり気が進まない。

 ぼくは左岸側の、ちょっと傾斜が急な部分(長次郎谷と平蔵谷の間)を、「これはアイゼン無しでは苦しい。高巻こう」と、間違って判断し突っ込んでしまい、瓦礫ごと下に転落。足と手のひらは血だらけになり肋骨にひびが入ってしまう(下山後判明)。
 そんなことをしなくても楽々アイゼン無しで登れる傾斜だった。目の前で見ると登るの難しそうだけど、登り始めてみるとそうでもない。

 雪渓は、地図上で剱沢雪渓から剣山荘に向かって点線が分岐している箇所で終わり、そこから後は花畑に囲まれた急登になる。この分岐、ガスってたら見つけにくいだろう。そのまま雪渓を突き進むと、雪渓はいきなり滝によって溶解、寸断されており、気づかず前進したら20メートルは墜落する。

[劔岳ピストン]

 剱沢小屋の少し手前。文登研の夏山前進基地が、剱ピストンの始点だ。
 ここから剣山荘までの間、雪渓横断が2回必要。しかしいずれも、剱沢雪渓に比べはるかに歩きやすい。
 また、ここから先にはずっとペイントによる誘導がある。地図読みをまずる心配はなくなるので、浮き石にだけ注意しよう。いくら整備されまくっているルートとはいえ、30個に1個くらいの割で浮き石が混じっている(サンプル200個)。平坦地で踏むならまだしも、絶壁登攀中のホールドがそうだったりすると、運が悪い。

 剣山荘から一服剱までは、ただの急登で迷うことはない。一服剱は頂上の少し下を巻けるので、時間がないときは助かるだろう。また、基部にも、遠い昔に通行禁止となったトラバース道が走っている。疲れたくないときはこちらもイケルのではないか。
 前剱との間の鞍部まで急な下りで、そこから前剱へは急登。この登りは踏み跡がいっぱいで、ルートは無数に散逸している。迂闊に、あまり踏まれていない所に足を踏み入れると、落石は日常茶飯事。

 前剱ピーク手前から、所々鎖場が現れるようになる。まずはピーク直下を、崩壊したルンゼの中、20メートル程度這い上がる。
 ピークから一旦大きく標高を下げ、剱の登りはその最下点鞍部から延々続いている。下から劔を見上げると、地図上の等高線から感じる印象よりも、はるかにスケールが大きく感じられ、実際大きい。激しく息の切れる登りだ。

 前剱を過ぎてすぐ、キレット状の地形がある。よろけるだけで危険な幅しかない。
 渡り終わると鎖場が待っている。へつって進むタイプだ。ここから先は、だいたいの鎖場が、行きコースと帰りコースの上下二車線になっている。ぼくが登った時は前後200メートルに誰もいないような状態がほとんどだったので、気分次第でどちらを行くこともできたが、やっぱりお盆の時期は、歩いている時間よりも待っている時間の方が、2倍長くなるらしい(真砂沢ロッジで会った青年の談話による)。

 鎖場は数多く現れるのでいちいち説明しているときりがないが、とくに危険なのは、有名な蟹の縦這い、横這いだ。高度感があって恐ろしいのである。
 下はあまり見ずに一気に通過したくなるけれど、危険なので三点確保に頼り切った方がよい。三点確保を発明した奴は天才だ、と思いながら抜ける。時々浮き石も混じっている。触られすぎて角の丸くなった石は、実績が物語るとおり安全なので、石はよく見てから握ると安心でしょう。
 剱ピークもガラガラだった。1時間近くひとりで考え事をする。15分に1回は思考の寸断される都市生活では味わえない、「こんな生活を送れる自分は幸せだ〜」としみじみ思う1時間だった。日々の労働の末に稼ぎ出した結晶を堪能している気分だった。
 ピークの祠は落書きだらけだ。

[雪渓終点〜剱沢キャンプ場]

 ピストン始点から剱沢小屋までは、鼻歌を歌いながら登った。草原の中の遊歩道だ。にしてはやや傾斜はあるが。
 ガスが、切れ目が分かるくらいに拡散しつつあり、ミラーボールのように光量が変化する様が歩きながら楽しめる天候だった。
 剱と反対の方向はなだらかな山容が地平まで広がっており、好対照だ。
 日はやがて剱御前のむこうに沈み、東の真砂岳をとりかこむ空は、偏光レンズを透かしたようにとっぷり青く暮れ始めていた。

 この青みが大好きなのだ。
 

【第4話】 慟哭させる座  〜8月29日(火)〜


天気
晴れ。11:30〜13:00はガスの中。室堂に降りたら快晴だった。
 日の暮れる時間帯になっても珍しく雲が出ず、一番星、二番星…と順に現れるのをしばらく眺めていた



行程
 剱沢小屋C3-0:17-剱御前小屋への分岐-0:21-別山への分岐-0:42-真砂岳-0:32-富士の折立-0:08-大汝山-0:10-雄山-0:33-一ノ越-0:25-室堂バスターミナル-0:35-雷鳥沢キャンプ場C4 [3:43]
 ( ザック重量 … 不明)



幕営可能点
 (1) 雷鳥沢キャンプ場
  張数 … 100程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 砂地で平坦地。ポンチョは汚れるが、寝やすい事この上ない
  ペグ … 刺さりやすい
  風 … どの方位からも受けやすい
  虫 … あまり気にならない
  小屋まで … 幕営管理所には1分で着くが、電話のある小屋(雷鳥荘)までは7分かかる
  水場まで … 徒歩1分以内。幕営管理所脇のそば。水道
  トイレ … 幕営管理所にある
  気象通報 … 普通に入る
  その他 … 大日岳〜剱御前〜立山三山〜室堂山に抱かれた位置にある。どこまでも広がる座に涙ぐんでしまう。夕日も朝日も綺麗なのだ
 (立山三山頂上の各小屋、および一ノ越山荘周辺は幕営禁止。室堂バスターミナル周辺も、空き地はいっぱいあって張らせてくれても良さそうなのに、幕営できない。(金にならない)テント利用者を不当に差別し、隅の方に追いやっているとしか思えないよ)


水場
 (1) 一ノ越山荘 … 1リッター50円
 (2) 室堂バスターミナル … 水道
 (3) 雷鳥沢キャンプ場 … 水道。幕営管理所の中にもある。洗面所に鏡もついていた

電話
 (1) 雄山頂上小屋 … カード/硬貨併用公衆電話
 (2) 一ノ越山荘 … カード/硬貨併用公衆電話
 (3) 室堂バスターミナル … カード/硬貨併用公衆電話
 (4) 雷鳥荘(テン場の最寄り小屋) … カード/硬貨併用公衆電話


小屋
 (1) 大汝山休憩所
  有人。トイレと売店がある。立ち入りは自由で、中でテーブル囲んでお湯を沸かしてお茶とか楽しめる。大汝山ピークまで徒歩1分。屋根の色は、珍しく青。宿泊はできないらしい
 (2) 雄山頂上小屋
  富士山、白山とならぶ日本三大霊峰のひとつ、雄山を司る雄山神社の社務所を兼ねている。山小屋としての機能は、軽食や飲み物の提供のみ確認したが、宿泊はできるのかどうか分からない。
  500円支払って神社を参拝すると、紫のストラップの付いた、金色の小さい鈴がもらえた。富士山を想い出した。三大霊峰には鈴を配る風習があるのだろうか
 (3) 一ノ越山荘
  トイレと売店、電話がある。水は、リッター50円と安値で手に入るが、ここからどの方向に向かっても、次のテン場には無料の水場があるので、存在価値はそれほど感じられない。
  小屋の受付奥では、バイトのお兄ちゃんたちが、29型の大画面でNintendo64 に興じていた。宿泊可能
 (4) 室堂バスターミナル
  山小屋ではないが、機能的には山小屋のすべてを兼ね備えている。
  水、トイレ、電話、売店、簡易郵便局が利用できる。
  ここに貼ってあったポスターによると、室堂には NTT DoCoMo の基地局が設置されているので、携帯はバリバリ入るらしい。実際、歩きながら携帯で話している人もちょくちょく見かける
 (5) 雷鳥荘
  設備上はホテルに近い山小屋。公衆電話は貸してくれる
 フライをたくし上げテントから首を出したら快晴だった。絵の具のような絹雲がちりばめられた視界が、途方もなく広がっていた。
 草木と岩肌一面に凝結した夜露が、ひとつひとつ、光彩を放っていた。
 起床するには少々遅い時間だったが、この光景を、寝そべった高さから眺められただけで儲けもんである。
 昨日雪渓から落ちたとき、下で起こった出来事はだいぶ忘れた。気分がすこぶる健やかになっていた。

[剱沢キャンプ場〜真砂岳]

 今日はまず、テン場南方の斜面を登る。主に剱御前小屋との行き来に使われるこのコース沿いには、剣沢キャンプ場の水場水質保全のため、谷に立ち入れないようにするロープが、沿線ずっと張ってある。これが道標となる。踏み跡が多いコースで、大半はやがて本線と合流するから良いのだけれど、時に、キジ撃ちの跡に行き着いて引き返すしかなくなる分岐も混じっているので、この目印を信じて進むと良い。

 途中、「←別山/剱御前小屋→」と書かれた看板があるので、そこでロープ道から離れる。稜線まで急登だ。
 剱御前小屋にコース詳細を問い合わせたとき、「剣沢から立山へ抜けるには、当小屋(剱御前小屋の事ね)を経由した方が安全ですよ」と回答があったが、エアリアにも載ってるコースだし大丈夫だろうと思ってつっこんだけど、本当に普通の登山道だった。

 稜線上にまた看板があって、ここは4枝分岐だ。(1) 稜線づたいに剱御前に向かう道。(2) いま登ってきた剣沢に向かう道。(3) 別山ピークに向かう道。(4) 別山をトラバースして真砂岳に向かう道、の4つが延びている。
 (1) をしばらく進んだ所から、展望のよさげな小さなピョコに立ち寄ることができるのが見て取れた。自分は(4)を進んだ。

 真砂岳も、基幹登山道はトラバースしているが、稜線通しにピークへ向かう道が分岐しており、約2分の追加労働で着く。白い砂丘のような山容だ。

[真砂岳〜立山三山〜一ノ越]

 ここから少し下り、大汝山への最後の急登(様相が一転してちょっと岩岩している)を越えると、立山三山をたて続けに踏める楽しい領域に入る。10分間隔でピークが現れるのだ。ただし雄山を除き、本当のピークは基幹線を行くだけでは踏めないので、別途、ザックをおいて出向く必要がある。

 富士ノ折立は、急登を登り切った所にある鞍部(ポールあり)から稜線を北に100メートルほど登ると着く。先端が「エビのしっぽ(@山スキー)」のように突出したかっこいいピークだ。登る人はあまりいないらしく、鞍部からピークの間には、踏み跡はあるものの、ペイントや指導標は設置されていなかった。

 大汝山は、休憩所の防風壁のような位置、形で存在している。

 雄山は、三角点は稜線上にある。しかし、山の最も高い部分は神社の祠の地点なので、真のピークに行くにはやはり分岐する必要がある。
 祠への参拝には、500円かかる。分岐に料金所があり、代金と引き替えに、札と鈴を受け取る。どうしても支払いたくなければ、裏からザイルを使って登攀するか、台風が直撃して無人の時に登る。(2年前登ったときは台風一過で、まだ風速10メートルくらいの風が吹いていたので、料金所も社務所も無人だった)
 祠には神主さんがおり、立山と、この祠に関する Tip を述べたあと、大和言葉で祈祷をする。最後に御神酒(おみき)をいただける。目薬が含まれているのでは? と勘ぐるほど、酔いが回りやすくなっているので注意が必要だ。

 社務所に戻ると、絵馬を奉納するシステムも利用できる。これも500円だ。

 一ノ越まで急な下り坂が続く。ここも踏み跡が多すぎて、ルートファインディングに苦労する。また、客があまりに多いので道がぼろぼろに崩れており、ペイントされているルートであっても崩壊する場合がある。落石注意。

[一ノ越〜室堂バスターミナル]

 一ノ越から先は、石畳か、それに近いコースになる。途中雪渓の横断が2回あるが、踏まれすぎて、トレースが足の形に5センチくらい窪んで続いているので、そこをなぞっていけば転倒の危険は少ない。
 やばそうなら、踵からのキックステップでどうにでもなる。
 また、こけて滑っても、奈落の底に吸い込まれるような地形ではない。
 しかし、訴えられた場合に備えてか、室堂バスターミナルの案内板には、「雪渓ではアイゼンをご使用ください」と書かれていた。

[室堂バスターミナル〜雷鳥沢キャンプ場]

 室堂バスターミナルから雷鳥沢キャンプ場は遠い。1ピッチかかる。決して、折立キャンプ場や三倉キャンプ場のように、テン場とバス停を計画書上で同一視してはならない。標高差も実は100メートル以上あって、急登で、たいへんです。
 硫黄臭を胸一杯に吸い込みながら、とぼとぼ歩く。

 テン場のトイレは水洗で、男女別。トッペまで常備されていた。テントを張って、痛み止めを飲み、脂汗を垂らしながらしばらく眠る。
 隣の大学山岳部のテントのから聞こえてきたホエーブスの息吹で目を覚ました。もう夕食の時間なのだ。
 食べてる間に痛みはだんだん引いていった。飯で暑くなりテントの入り口を開けると、大日岳の向こうがピンク色(トキ色というか)に変わっていた。
 首をもっと伸ばしてぐるっとあたりを見渡すと、剱御前小屋の直角的なシルエットが、斜め線の多い稜線上で目立ってよく見えた。
 周囲270度を山に抱かれたテン場。落ちている石に腰掛け、「あれが大日岳」「あれがさっき降りてきた雄山」「明日行く室堂山」「あの向こうが薬師岳」と稜線を目でなぞり、回想と空想の時間を楽しんでいた。

 冬にここに来て、一面の雪原と雪壁を見たくなった。

【第5話】 雷鳥の世界  〜8月30日(水)〜


天気
星空から快晴。夕方くもり

行程
 雷鳥沢キャンプ場C4-0:45-室堂バスターミナル-0:58-浄土山-0:12-富山大学立山研究所-0:52-獅子岳-0:55-ザラ峠-0:20-五色ヶ原ヒュッテ-0:15-五色ヶ原キャンプ場C5 [4:17]
 (ザック重量 … 29キロ)

幕営可能点
 (1) 五色ヶ原キャンプ場
  張数 … 30程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … やや傾斜のある、石の多い所
  ペグ … 半分以上石に邪魔された
  風 … どの方位からも受けやすい
  虫 … トイレが近いため、ハエが多い
  小屋まで … 五色ヶ原山荘、五色ヶ原ヒュッテまでいずれも15分
  水場まで … 徒歩1分以内。水道だが水は流しっぱなしで水量少な目
  トイレ … 徒歩1分以内。堅牢
  気象通報 … 普通に入る
  その他 … テン場使用料をどこからも徴収に来なかった
 (富山大学立山研究所の前の広場でも、いざとなったら10張りは張れる)

水場
 (1) 五色ヶ原キャンプ場 … 水道。近くの雪渓から給水しているようだ

電話
 どこにもない

小屋
 (1) 富山大学立山研究所
  無人。壁も屋根も全身緑色の無骨な建物。扉はかたく閉ざされており、緊急避難も難しそうだ。
  「研究所」と銘打たれているが、山小屋か避難所といったたたずまい。
  壁面に大きく「椎名誠」と彫られていた。本人の直筆だろうか
 (2) 五色ヶ原ヒュッテ
  有人の筈だが無人で誰もいなかった。侵入も不可。
  ぼろく、あまり泊まりたくはない。
[雷鳥沢キャンプ場〜富山大学立山研究所]

 テン場からバスターミナルに引き返すだけで、すでに一仕事である。
 翌日の目的地が剱御前以外で、かつ金に余裕がある場合、室堂山荘など、バスターミナルに近い宿(含山小屋)に宿泊すれば、時間を1時間節約できる。

 バスターミナル前の、「室堂山→」と書かれた看板を南に折れ、しばらく石畳の道を行く。登山道に傾斜がつきはじめると丸太の階段になる。
 途中、浄土山へ向かう道と、室堂山へ向かう道が分岐している。分岐に看板はなく、ペイントのみの案内となる。浄土山への道は少々ハイマツに覆われており気が付きにくいので、地図読みしながら進むと良い。室堂山は行き止まりになっている。

 東の空は立山の稜線に下半分を遮られ、太陽が見えるのはだいぶん遅い時間になる。浄土山への斜面を登っている最中も、地図が懐電無しで読める明るさだったが、まだあたりは一面日陰だった。振り返って弥陀ヶ原のはるか彼方に目をやると、遠方の平原がようやく黄色に光り始めた所だった。高度を稼ぐうちに、向かう浄土山の稜線のきわからも、光彩が放たれているのが見えてくる。「ここを登り切ったらご来光だ」と、やる気が湧いてくる。

 頂上へ身を乗り出したとたん、太陽が、ぽんっ、と急に空の真ん中に飛び出した。ものすごく眩しかったが、感激のため立ち止まり、「ほー」と息の漏れるくらい景色に没頭した。

 逆光の中で、登山道の先に動く物が見えた。「クーン、クィーン」と、犬の甘えるような鳴き声が聞こえてくる。雷鳥だ。雷鳥の家族だった。小さいのが1羽、中くらいのが1羽、大きいのが1羽、しきりにこっちを気にしながら、あっちに逃げようか、こっちに逃げようか各々考えている。
 人間と違い相談できない獣の悲しさ。統率がとれるわけもなく、大きいのと小さいのは右の茂みに。中くらいのは登山道を東に向かって逃げ出した。
 中くらいの方は、ぼくに追いかけられる格好でどんどん東に追いやられる羽目になった。あまり追い回しすぎると群れに戻れなくしてしまうからこっちも追いかけたくないのはやまやまだが、ハイマツの中の一本道なので迂回もできない。
 早く脇の茂みに飛び込んでくれればいいのに、逃げるのに必死で知恵が回らないらしく、ひたすら登山道をぱたぱた逃げ続ける。
 後ろを見ると、さっきの小さいのと大きいのが、物憂げにこっちを見つめていた。「仲間をどこへ連れていく」と訴えているようだった。
 このままだと埒があかなそうなので、ザックダウンして写真撮影に切り換えた。中くらいの動きが止まり、じっとこちらを警戒する。脇のハイマツを飛び越えて向こうと合流したがっているようだ。だましだましこちらに近づいてくる。
 しばらく、向こうが近付いたり逃げたりを繰り返しているうちに、どうもぼくが目線を向けていると、緊張して横をすり抜けられないということが分かってきた。
 気になるのを我慢して、しばらくカメラの方に視線を集中する。
 30秒くらいして、バタバタバターッとけたたまして羽音がし、中くらいは脇を飛んで抜けていった。

 カメラを仕舞い、歩き出すしな振り返ると、3羽でこちらをじっと見つめて見送ってくれた。(結果的に)追いかけ回さないようにするポイントは、「目線をあわせないこと」であった。

 竜王岳の頂上は、だだっ広い広野になっている。やや窪地気味の位置に、壁も屋根も緑色の建物と、同じく全身緑色の、給水塔らしい鉄骨塔が建てられている。富山大学立山研究所だ。
 無人で、立ち入ることもできなかったので、写真だけ撮って立ち去る。三枝分岐で、看板はないがペイントで行き先案内されている。「五色ヶ原→」の方に進む。

[富山大学立山研究所〜五色ヶ原キャンプ場]

 鬼岳の基部まで急な下りを降り(鎖場1箇所)、そこから鬼岳を巻きにかかる。巻き始めてすぐの所と、そこから尾根一つ乗り越えた所にある谷を渡る時に、雪渓を横断する。平坦なので難しくはない。
 トラバースを終え、しばらくハイマツの中のトレースを進むと、すぐ獅子岳のピークに着く。4つの小さなピークが連続しており、本ピークを除くと、どれも人一人で満員になるくらいの広さだ。ピーク独り占めの気分を味わうのに最適だろう。
 本ピークには看板がある。

 そこかにザラ峠まで、脆い地盤の急坂を下る。ジグザグに下降してゆく。紛らわしいサブトレースが相変わらず多いので、ちょっとでも油断すると落石を起こすだろう。一旦崩れるとかなり大規模に崩落する(目撃)。膝に負担のかかるコースでもあるので、決してあわてないようにしたい。
 ザラ峠には看板があり、あと一息で五色ヶ原と分かるようになっている。少し登って平坦地に出ると道は木道になり、足取りはますます軽くなる。

 無人の五色ヶ原ヒュッテを後目に、更に15分歩くと、テン場に着く。周囲は、高低差の少ないなだらかな丘陵地帯で、花と雪渓が豪華にちりばめられている。恐らく五色ヶ原とは、緑、黄、紫、白、そして空の青の事を指して銘打たれたのではないか。
 着いてポンチョとTシャツを洗濯し、テントを張ってフライを干す。
 それらが乾く頃、太陽は大きな積乱雲に覆いつくされてしまった。テン場には相変わらず誰も来ない。きょうの行程中に出会った人は、計5人。うち1つは4人パーティーだったので、つごう2団体としか会わなかったのだ。もともとここが静かなコース(つまりあまりはやっていない)ということをさっ引いても、繁忙期の山が嘘のようだ。
 誰も(管理者さえも)いないテン場には、ハエとアブの飛び交う音が響きわたるのみとなった。「俺を残して、みんな死に絶えてしまったの?」という感じ。
 さっきまでの、青空! 青空! 青空! 強烈なコントラストの緑と岩、映える真夏の北アルプス、は、もうどこにもない。
 西の空が、成長し続ける積乱雲で一杯になった。今はまだ見えている立山連峰も、あと少しで喰われてしまうだろう。明日までごきげんよう。

 寂しい。  

【第6話】 腹の試される大地  〜8月31日(木)〜


天気
全天層雲→雲が真っ赤に焼ける朝焼け→くもり→10:30頃晴れ。
 しかし東方の稜線(後立山連峰)はずっと雲の中

行程
 五色ヶ原キャンプ場C5-0:12-五色ヶ原山荘-0:30-鳶山-1:03-越中沢岳-0:38-スゴの頭トラバース始点-0:35-スゴ乗越-0:27-スゴ乗越小屋-0:51-間山-1:11-北薬師岳-0:35-薬師岳-0:10-避難小屋跡-0:10-薬師岳山荘-0:35-薬師峠キャンプ場C6
 [7:08]
 (ザック重量 … 不明)

幕営可能点
 (1) スゴ乗越小屋のキャンプ場
  張数 … 15程度
  張る場所の指定 … 不明
  地形 … 棚田状の樹林帯の中。矩形でない区画も多い
  ペグ … 不明
  風 … 吹きさらしではないので、受けにくいと思う
  虫 … 不明
  小屋まで … 徒歩1分
  水場まで … 水場は小屋にあるので、これも徒歩1分。水道
  トイレ … 小屋の脇に幕営者専用トイレがある。よって徒歩1分
  気象通報 … 不明
  その他 … 張り数は少ないが、登山者自体が少ないので、午前中に来れば間違いなく張れるだろう
 (2) 薬師峠キャンプ場
  張数 … 50程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … やや起伏のある荒野。石は少な目。鞍部に位置し、東側は展望が開けている
  ペグ … 刺さりにくい
  風 … 東側からの他、薬師から吹き下ろしも受ける
  虫 … 気にならない
  小屋まで … 太郎平小屋まで行き10分。帰り8分。翌日のコース上にあるので、急ぎの用でなければ翌日に廻すと良い。幕営管理所はテン場のすぐ脇。しかし今シーズンはすでに閉鎖されていた。開いていれば小さな売店が営まれる
  水場まで … テン場から脇道にそれて徒歩2分。水道だが水量は少なめ
  トイレ … 水場のすぐ近く。ログハウスで男女別になっている。要チップ
  気象通報 … よく入る
  その他 … 幕営管理所が開いている時期は、ここに料金を納める。閉鎖後は、午後5時頃に小屋から徴収に来る。
  (薬師岳山荘周辺は幕営禁止)

水場
 (1) 五色ヶ原山荘 … 水道
 (2) スゴ乗越小屋 … 水道
 (3) 薬師峠キャンプ場 … 水道(少量)

電話
 (1) 五色ヶ原山荘 … 不明
 (2) スゴ乗越小屋 … 緊急無線のみ
 (薬師峠キャンプ場から太郎平小屋まで走れば、カード/硬貨併用公衆電話が利用できる)

小屋
 (1) 五色ヶ原山荘
  早朝に脇を通過しただけなのでよく分からない。水場と売店があって、中で宿泊客に朝食を振る舞っていたのだけ見て取れた
 (2) スゴ乗越小屋
  森の中の一軒家。登山道は玄関の真ん前を通っている。玄関のすぐ脇に流し台があるので、ザックをおろして休憩、とまでいかなくても、通りしな顔を洗ってさっぱりしていく、くらいの利用価値はある。
  従業員さんは壮年の方ばかりで、話し方や立ち居振る舞いが、みな筋金入りの山男、というたたずまいだった。話上手。
  玄関の上の二階部分から小さなテラスが張り出していて、かわいらしい椅子とテーブルが三組置かれている。周囲の樹林帯は背が低いので、テラスからは後立山の稜線を一望できる。こんな所で落日を眺めながら夕食してみたい。きっと優雅な絵になるだろう。「中に入ってみたい。泊まってみたい」と思わせるオーラを放っていた。壁に窓が多く、食堂や売店、寝室の様子が外からよく見えるのが理由ではないかと思う。コンビニと同じ原理で…
 (3) 薬師岳山荘
  灰色の砂礫に立てられた山小屋。防風壁に取り囲まれており、休憩にはもってこい。牛丼800円。卵付きは+100円がうまそうだ。電話の有無は不明。


 ちなみに五色ヶ原キャンプ場は、国土地理院の地図上で、五色ヶ原ヒュッテから南に延びる道と、五色ヶ原山荘から南に延びる道の合流点にある(よく調べてなかった)。

[五色ヶ原キャンプ場〜スゴ乗越小屋]

 キャンプ場から鳶山の登りの途中までは、木道で歩きやすい。下りは転じて歩きにくい。トレースが、ちょうど目の高さくらいのハイマツで覆われていて、藪を漕ぐような格好で歩かねばならないのだ。

 次の鞍部−−鳶山と越中沢岳の間−−付近は、鬱蒼とした針葉樹林。地面は、ここ数日あまり雨が降っていないにも関わらず、ペースト状で湿っぽかった。雨の後はさぞぬかるみが激しいだろう。栂海新道の犬ヶ岳〜黒岩平を思い浮かべていただくと分かりやすい。

 次の越中沢岳の登りは、これまたなだらかで歩きやすい。エアリアで、キャンプ場からピークまでの時間が 4:00 になっているが、何かの間違いだと思う。多く見積もっても 2:30 で大丈夫だろう。

 越中沢岳のピークには「近くて遠いはスゴの小屋。アップダウンが続くよ!」と書かれたポールが立っている。小屋は確かにすぐ向かいの斜面に見えている(スゴの頭へは一旦南に向かい、そこから南西に折れて小屋に向かうため、小屋が直に見える)が、はたしてその通り。登っては降りる、を10分毎に繰り返さねばならず、「たいがいにしてくれ」と泣きを入れたい。

 まず、スゴ乗越まで急な下り。
 スゴ乗越から、スゴの頭に稜線づたいに直登するルートと、「巻き道→」と書かれたルートが分岐している。ここは巻いて進んだ。直登ルートの方が踏み跡はしっかりしていたが、巻き道の方も歩けないほど荒れている訳ではない。しかし、途中にトッペが散乱しているのを見た時は後悔した。
 巻き道と言っても、あまり素直に巻いているわけではなく、水平道を想像しているとキレる。かなり登って降りる上に、滑りやすかったり巨岩帯だったりで、とても歩きにくい。嬉しいのは、途中なっている木苺の実が食べ放題という事だ。人が少ない分、大粒のがたわわに、ほとんど手付かずで残っている。なぜかヨーグルト風味がする。嬉しくて、大きいのから順にいっぱい食べた。

 地図上では、ここから小屋までの間には、なだらかなピョコがひとつあって、あとは単調な登りだけ…のように読める。
 が、これがとんでもないクソ稜線だ。6回アップダウンする。小屋はすでに樹林帯に隠れて見えないので、無限ループに陥った気分が味わえるだろう。そしてふとある時、キャンプ場の看板が目に入り、「救われた…」と思うだろう。

 今日はここまで誰とも会わなかった。小屋でようやく、薬師峠から来たという、15泊やってる兄ちゃんに会ったが、このまま五色ヶ原まで行くとの事。小屋は開店休業状態のようだ。予定通り飛ばし、薬師へと向かう。

[スゴ乗越小屋〜薬師岳]

 間山まで単調な登りが続く。地面が徐々に、泥から瓦礫へと変化する。茶色岩でできた、鋭く尖った瓦礫だ。
 間山のピークから南方の稜線を眺めると、今度は、茶色から灰色に段々変化してゆく様子が分かる。北薬師岳、薬師岳は灰色のピラミッドピークなのだ。稜線の下方は左右とも、谷筋に沿って、ハイマツ帯のしま模様が末広がりに流れ出ている。

 北薬師岳の登りの前半部分は、地図上では稜線だが、えぐれた谷状の地形の底を登る。踏まれすぎて谷になってしまったのだろうか。道の左右のゆるやかな斜面が、花畑になっている。背丈20センチくらいの白い花(菜の花のような形。呼称不明)が咲き乱れている。花に囲まれた遊歩道である。
 北薬師岳のピークが見据えられる位置まで登ると、岩稜帯に道は変わる。三点確保は必要ないが、トレースが見えにくくなるので、ペイントと、100メートル先のルートの位置を常時確認しながら歩こう。ここも結構アップダウンが激しい。あとちょっとの辛抱だから、と考えて歩いていると、みるみるうちに胃がからっぽになってシャリバテに罹る。ザックの重みが急に自覚され、頭は栄養不足で気合いが入らなくなる。
 ピークまで歩いて、上野駅で西岡君にもらった、厚さ2センチはある太い板チョコを、5センチ角位に叩き割って一気になめまわした。天気はいいし、景色は見たこともないやつが360度だし、腹は満たされるし、無上の幸せ。

 しかし、薬師岳までも遠かった。東の斜面を雲が這い上がってきており、薬師は今にも喰われそうだった。急いでピークに突っ込む。
 祠が頂上にあって、三角点は祠の柱の陰に、申し訳なさそうに立てられていた。祠には鍵がかけられていたが、人一人入って寝ころべるくらいの大きさはあるので、緊急時は無理すれば入ることも許されそうだ。
 ここで登山者2人と会う。やっときょう3人目だ。
 5分くらい展望を拝ませてもらった所でガスに呑まれる。

[薬師岳〜薬師峠キャンプ場]

 下りは早い。かつて避難小屋があったらしい地点までは、駆け足で来れる程度に踏まれていて、道幅も広い。地図上では「避難小屋」となっているが、定員1名の石室である。うずくまって休むのがせいぜいのスペースしかない。扉もないので、緊急避難にはポンチョかツェルトが必要だろう。
 木の全然生えていないのっぺりした稜線なので、ガス時、積雪時ここから東南尾根に迷い込みやすいらしい。というわけで、登山道は、稜線直上でなく、斜面を西側に50メートルくらい(水平距離)下った所を走っている。ここなら迷う心配はない。

 薬師岳山荘からは、また元の瓦礫+ハイマツの登山道に戻る。途中で「薬師平」という景勝地に出合う。ここから登山道は、沢づたいにキャンプ場まで降りてゆく。沢と言っても、晴れの続いた後は涸れ沢である。ペイントはあるが、トレースはあまりはっきりと分からない。沢が樹林帯に覆われる頃から、木の枝に赤テープも巻かれている。この傾斜は急だ。動きにくい地形なので、逆だったら相当嫌だろう。
 沢の流れる音と、キャンプ場のざわめきが聞こえてくると、薬師峠はすぐそこだった。腹はふたたび空腹によって悲鳴をあげ始めており、「おつかれさま」と声をかけてあげたかった。

 再びガスが晴れた。
 すべての物がオレンジ色に見えるテントの中で食後のくつろぎを得る。選るとも言うね(e.g. 早寝、二度食い、物々交換)。
 お盆の時期は富士山のピーク並だったらしいこのキャンプ場も、今日は自分のを含めて5張りのテントが立つのみで、こうやって夕飯後聞き耳を立てていると、そのつもりがなくても互いの会話が聞こえてしまうくらい、閑散としている。
 隣のテントは大学のワンゲルらしく、「ダスター作って」とか、「トッペ取って」とか、なじみの深い言葉が飛び交っている。
 正面のテントは、どこかの会社の同僚二人連れらしく、ホエーブスが壊れたと言ってさっきから修理にいそしんでいる。
 テントから首を出し東の方を見ると、雲ノ平の地平彼方に、槍ヶ岳が雲を取り巻いて鎮座している。
 空は漉したように青く、西の方からそろそろオレンジ色に変わりつつあった。空気は肌寒く、近くを流れる沢からは、落水が岩を拾う音が単調に繰り返し響きわたる。

 いつのまにか眠っていた。

【第7話】 袖触れ合うも強制入会  〜9月1日(金)〜


天気
未明雨→行程中は霧雨 or くもり。視界30メートル程度。
 14:00から激しい夕立ち。日本の西にいる台風12号に吹き込む、
 南方からの湿った風の影響のようだ

行程
 薬師峠キャンプ場C6-0:10-太郎平小屋-1:26-神岡新道分岐-0:12-北ノ俣岳-0:20-赤木岳-1:00-・2578-1:00-黒部五郎の肩-0:10-黒部五郎岳-2:05-黒部五郎小屋C7 [6:33]
 (ザック重量 … 不明)

幕営可能点
 (1) 黒部五郎小屋のキャンプ場
  張数 … 20程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 草原地帯の中。植物や岩に邪魔されて、広さの割に張れる場所は少ない
  ペグ … とても刺さりにくかった
  風 … 南風をまともに受けた。黒部五郎岳へのとりつきの所だけ、ハイマツが防風壁になって風が弱い。ぜひ確保しよう
  虫 … 雨なので現れなかった。林が近くにあるので本来は多いと予想される
  小屋まで … 徒歩3分
  水場まで … 小屋の脇に水場専用の建物がある。テン場から徒歩3分。水道
  トイレ … 小屋に併設されている。よって徒歩3分。戸を閉めるとまっくらになるので懐電を持っていった方がいい
  気象通報 … 入りにくい
  (太郎平小屋周辺は幕営禁止。広いから張らせてくれても良さそうなのに…)

水場
 (1) 黒部五郎小屋 … 水道

電話
 (1) 太郎平小屋 … カード/硬貨併用公衆電話
 (2) 黒部五郎小屋 … 緊急無線のみ

小屋
 (1) 太郎平小屋
  大規模な小屋。玄関前は、テニスコートが2面はとれるくらいの広場になっており、各方面からの登山客でにぎわっている。また、夕食の時間帯は、小屋の調理場から流れ出てくる旨そうな匂いでいっぱいになる。
  受付から手紙を投函できる。正規の収集ルートではなく、従業員が下に降りるついでに持っていって、ポストに入れてくれるというシステムだ。
  50円、80円切手と、糊まで用意してくれる。
 (2) 黒部五郎小屋
  霧の中に赤い屋根だけ浮かぶ小屋、というイメージが植わってしまった。本来は大草原の小さな家だろう。平坦な作りでなく、立方体に近い。
  玄関前にテーブルとベンチがたくさん並べられていて、どうも自炊は野ざらしでやれという事らしい。水場とトイレが小屋に併設されている。
  小屋の談話室では、BS放送が見られるようだ。家族連れや団体客が、ある者はテレビ番組。ある者は伴侶を、それぞれ和みの糧として、食後の団らんを楽しむ様子が、窓の外からよく見えた。雨ざらしになりながら、濡れた靴を履いてテントに戻る時この光景を見たら、「誰か一人分けてちょ」と、ぼくでなくても考える。


[薬師峠キャンプ場〜太郎平小屋]

 キャンプ場正面の小高い丘を登ると、なめらかな緑の曲面が眼前に広がる。太郎平から雲ノ平へ続く、北アルプス随一の草原地帯だ。花畑がすごい。登山道は木道で、丘の向こうに見える赤い屋根に向かって波打つように延びている。
 3年前来た時はここは木道でなく、地面剥き出しの登山道だった。「登山道以外に立ち入らないでください」という看板で良心に訴える作戦に限界を感じ、改造してしまったのだろうか。

[太郎平小屋〜・2576]

 早朝の太郎平小屋は、登山客の応対と食事の準備に追われ、戦場のようだった。受付で絵はがき買おうと何度も従業員さんを呼ぶが、迷惑そうな顔を更にしかめっ面にされるだけだった。しかし買う。

 小屋の前の分岐は四枝分岐。分かりやすい毛筆体フォントで、「←折立」「↑薬師沢」「↓薬師岳」「黒部五郎→」と刻印された看板が立っている。どちらの方向へ進んでも、しばらく木道が続くのは同じだ。
 黒部五郎岳へのルートは、10分も登ると木道は終わり、登山道の状態がみるみる悪くなっていった。ヤブとかではなく、踏まれすぎて崩壊しているのだ。もともと土壌が柔らかい上、通行量が多いものだから、踏まれた部分から順に土砂が流れ出し、今ではすっかり、φ5メートル程度の半円筒形の溝が穿たれてしまっている。谷底を歩いているようだ。そしてみんな、谷底を避けて谷の縁を歩くものだから、ますます谷が大きくなる。悪循環に陥っている。
 踏み跡としてはこれほど気前のよいものも珍しいので、見失って道を外すことはないでしょう。
 しかし、木々は背が低いし、なだらかな稜線。岩峰などもなく、特徴的な地形ではない。飽きるのが早いかもしれない。ガスっていると現在地も把握しにくい。
 風は、遮るのもがないので、風上側では常に強く受ける。

 ・2576への緩い登りを快調に登るうちに、中年(壮年)女性3人のパーティーを抜いた。抜きしな「こんにちは」と挨拶する。
「あら、若い方。良い声してらっしゃるわね。まあ〜大きなザック!」
「一体何キロくらいあるの? ねえ、うちの山岳会に入らない?」
「今、若い人が入ってくれなくてねー。あなただったらきっと良い人材になるよ」
「ふふ、即幹部だわ、ふふ、ふふ」
「あー、でもきっとなんにもサービスできないけど、私たちの顔で良かったら、ぜひ下山したら連絡くださらない?」
「お住まいどこ? あら蒲田? 蒲田ですって!? 私たち横浜! 一駅で会えるじゃない!」
「嬉しい! 絶対連絡くださいね!」
と、質問も当惑もする間なく確保され、入会措置として住所と携帯番号をメモられてしまった。
 「有雁(ゆーかり)山岳会」の方々で、山岳登攀と登山を中心に活動していらっしゃるそうだ。雪上合宿は人手がなくて編成できないそうなので、山スキーの経験を売り込みたいあなたは、ぜひ参加してみましょう。

 ・2576 は、斜面北側に風をよけられる平坦地がある。緊急時はテントも張れそうだった。

[・2576〜黒部五郎岳]

 神岡新道との分岐には、大きな看板が建っている。ここから、岐阜県との県境を歩くことになる。しかし気象通報の受信周波数は変わらない。
 分岐の前後約1キロに渡り、賽の河原のような、渋いお花畑が広がっている。あたりの空気はクリープを溶かしたようだったので、肉眼で見ているはずの光景が、この世のものとは思えなかった。またもや無限ループに陥った気になる。
 赤木岳頂上付近でやや岩中心の地形になるものの、それ以外はハイマツ地帯。よって雷鳥が異様に多く、2時間に1グループくらいの割で遭遇できるだろう。

 中俣乗越を過ぎ、・2578 を越えると、黒部五郎の肩まで急登が続く。一辺15メートル程度のスイッチバック。登っていて一番疲れるパターンだ。距離は延びないし歩きにくい…
 風がだいぶ強くなってきており、カッパのフードがばたばた音を立てていた。
 雨は冷たく、雨粒というより、水の膜が顔に貼り付くような降り方だった。

 地図上で、黒部五郎岳ピークの300メートルくらい北から、北側の稜線に向かって点線の分岐している箇所が、「黒部五郎の肩」だ。
 看板が建っており、行き先(黒部五郎岳と黒部五郎小屋)の他に、歩く上での注意点が記されている。
 「トラバースルートは雪渓と落石に注意」アンド「踏み跡多し」らしい。
 稜線づたいのルート、つまり頂上へ向かうルートに入ると、いつのまにか岩稜地帯になる。岩の上をほいほい跳ねてしばらくゆくと、黒部五郎岳だ。ただ、寒すぎてよく分からない。

[黒部五郎岳〜黒部五郎小屋]

 標高 2600メートル付近まで岩稜帯が続く。段差の激しい部分が多く、あまりスピードは出ない。転ぶと危険な部分も多い。ここはエアリアと同じくらい時間がかかった。
 一段落終わると、また花畑と茂みの点在する、賽の河原のような稜線になる。・2581.7 を越えると、稜線でなくなり、荒野が広がる。踏み跡がほとんど分からなくなる。ガスっている場合、唯一の手がかりはケルンで、こいつは、道標として充分活用できるくらい大きなやつが、頻繁に設置されている。
 もともとケルンは徐々に崩壊していくものだから、次の人のために少し積んでいくといいかもしれない。
 ケルンの他、赤紫と白の、花火のような、ヒトデのような花が、まるで誰かが植えたかのように、行儀良くあっちこっちで咲いていた。

 小屋が近付くと、昨日と同じように道は樹林帯の中へと入り込んでゆき、草木の露が、ぐちゃぐちゃに湿っていた靴とカッパにトドメを刺した。ここには、枝に巻かれた赤テープという道標もある。すなわち、枝葉が目線の高さに達する位に深い樹林帯なのだ。

 登山道とテン場の出合う位置に、看板が建っている。
 テン場を横切り、小屋に続く粘土質の道を2分くらい歩く。道が小屋に突き当たった地点から右に抜けると三俣蓮華。左に抜けると小屋の玄関に行ける。
 小屋では、テント泊の人でも乾燥室を使わせてくれる(この時期は)。
 テント泊の場合、テントの受付と同時にトイレに行っておくと良い。ここに限った話ではないが、テン場とトイレが離れていると、雨のときはまた濡れた靴下に履き替えねばならず、かなり面倒くさい。
 テン場のキャパシティは小さいが、他に分岐もない一本道の途中の小屋なので、泊まる人は多い。あまり遅く来すぎると、岩の出っぱっている上に張る羽目になるだろう。

【第8話】 飛んだり飛ばされたり  〜9月2日(土)〜


天気
夕方までにわか雨。台風12号の影響で相変わらず風も強い

行程
 黒部五郎小屋C7-1:00-三俣山荘への分岐-0:27-三俣蓮華岳-0:40-双六岳トラバース道との分岐-0:20-双六岳-0:25-トラバース道合流点-0:15-双六小屋C8 [3:07]
 (ザック重量 … 22キロくらい)

幕営可能点
 (1) 双六池キャンプ場
  張数 … 100程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 南に池を携えた、だだっ広い鞍部。朝日も夕日も山に遮られて見えないが、それらに映える山のシルエットは格好良い
  ペグ … 刺さりやすく、濡れすぎているとむしろ抜けやすい
  風 … 南、北からの風が直撃する。遮るものが何もないので、風が強いと最悪だ。一人でテントを張るには、神業が要求される
  虫 … 雨なので現れなかった。池が近くにあるので本来は多いと思う
  小屋まで … 徒歩1分
  水場まで … 小屋の脇に水道がある。テン場からは、小屋を回り込む格好で随分歩かねばならない。テン場にも水道があったが水が出なかった
  トイレ … 小屋に併設されている。入ると真っ暗。おつりが返りすぎる
  気象通報 … 普通に入る

水場
 (1) 双六池キャンプ場… 水道

電話
 (1) 双六小屋 … カード式の公衆電話。NTT東西会社でなく、ドコモ製

小屋
 (1) 双六小屋
  この小屋の牛丼とおでんは、風雨にエネルギーを削られた登山者にとって最高のご馳走となる。それを目当てにがんばって歩いてきたのに、牛丼は売り切れだった。悔しくてたまらない。
  しかし他にも、チーズケーキ、カップケーキ、りんご、生ビールと、この小屋の売店のラインナップは、他と比べ多岐に渡っている。チョコレートだけで7種類ある。
  最近、テン場の近くにもトイレと水場が増設された。しかし、両方とも使用不能であった。客の多いときに限って稼働させるのだろうか。

 ここ数日の行程所要時間を見ていると、きょう1日で槍まで行くのも、余裕で可能と思われた。が、もしその後の天候がマズくなって、槍や南岳で沈を置く羽目になったら、水代で債務超過に陥ると思い、今日は双六までに決める。双六で台風をやり過ごすのだ。
 というわけで朝寝坊。6:55 起床。

[黒部五郎小屋〜三俣山荘への分岐]

 7:30 に撤収完了。テントが水を吸いまくって重いの何の。ちょっと考えて、歩荷する水は1リッターだけにした。黒部五郎小屋まで粘土質の歩道をゆき、小屋につきあたった所を右に折れる。「三俣蓮華岳→」と書かれた看板が建っている。
 小屋から100メートルも行かないうちに、早速、鬱蒼とした林に入る。急登斜面にはりついた針葉樹林で、見通しはしばらく利かない。小屋もすぐに見えなくなる。目印は赤テープである。この登山道のたたずまいは、黒部五郎の下りの最後の方に似ている。
 南向きの稜線に乗った辺から、空の様子が見える程度に木々の間が開ける。いつのまにかハイマツ帯に変わっている。きょうはあいにくガス模様なので、視界が少々明るくなった位しかメリットはないが、これで今日一番の喘ぎ所を抜けたと思うと気分がいい。
 昨日から降りしきった雨のせいで、稜線上にも関わらずぬかるみは激しく、場合によっては大きな水たまりが行く手を遮っている。新しい靴下がもうグシャグシャになってしまった。

 ・2661 までの間は、地図上では稜線づたいだが、小さなピョコを巻く箇所が1つある。稜線にも踏み跡が残っているので、迷い込まないよう注意。
 ・2661 を過ぎると、すぐ分岐にさしかかる。三俣山荘、三俣蓮華岳、黒部五郎小屋へ向かう三枝分岐だ。看板もある。看板によると、三俣山荘に向かう道は、残雪時(つまり初夏だね)に迷いやすいらしい。
 三俣蓮華岳どおしのルートに対する注釈は、特に書かれていなかった。

[三俣山荘への分岐〜双六岳]

 今日も風が強く、三俣蓮華のピークが近づくにつれ、歩くのが面倒くさくなるくらい風雨にたたきのめさている。ピーク付近は輪をかけて吹きさらしだ。寒さのあまり、ピッチも置けない。先を急いだ。
 なお、黒部五郎方面から来て双六方面へ抜ける場合、三俣蓮華岳へは、片道20メートルほどのピストンになる。ただし、正規の登山道ではなさそうだが、ピークから直に、南向きの稜線に戻れるコースもある。自分は後者を利用した。
 ここから双六岳手前の分岐まで、地図ではなだらかに見えたから一気に行けそうな気がしたが、・2854 が結構強敵だった。焦ると疲れる。
 双六岳をトラバースするルートとの分岐に看板あり。
 分岐から双六岳ピークも、思ったより傾斜が急で、意外性のあまり倍疲れた。ピークからは何も見えず、しかし風は旺盛。岩陰で水を一口飲み、早々に退散した。

[双六岳〜双六小屋]

 双六岳ピークには登山道の分岐はないが、稜線は、ここで南東と南南西に分裂している。正規のルートは南東稜線で、これまで進んできた方向からは若干ずれる。南南西に迷い込まないよう注意。これを避けるための目印としては、双六岳ピークに「コヤ」と白字で書かれた小さな石が転がっている。しかし次のシーズンにあるとは限らないので、地図読みに頼った方が確実だ。踏み跡は明瞭なので、一旦乗ってしまえば大丈夫。

 この稜線で遭遇した風が、合宿中最も強かった。ザックカバーをライナーで固定しておかないと危険な風速であった。カッパのフードももちろん固定。
 適当に歩いていると、風に押し流されて少しずつ登山道から外れてしまう。踏み跡は明瞭だが、ケルンが立っているだけの殺風景な稜線なので、どこでも歩ける。

 しかしゴアガッパは快適だね。靴の中は大洪水なのに、体は頭から足首まで、晴れているときと変わらぬくらい乾燥している。素晴らしい。もっと早く買うべきだった。

 稜線から外れたとたん、風は嘘のようにおさまった。正確に言うと受けなくなった。今日は南風なのだ。ここから小屋まではハイマツ帯だ。
 双六のトラバース道との合流点には、黄色い大きな案内標識がある。ここを過ぎれば、小屋を眼下に見据えながらの快適な下りが始まる。急降なので足元にだけ注意して、小屋のテラスに躍り出よう。

 テン場は嵐が吹き荒れていた。
 南側には双六池があるだけで、防風壁はない。茂みや段差すらない。ただし、石は豊富にあるので、積み上げて防風壁を作っても良いだろう。単独行の場合、長い目で見るとそっちの方が少ない労力で組み上げられるかもしれない(以下参照)。

 吹きさらしのままテントを張りにかかるが、想像以上に難航した。
 まず、ポンチョが置けない。広げて、折り目なく地面に安置できないのだ。風上から風下に流すように置いても、すぐ風でめくりあげられる。これはポンチョの四隅を石で固定し解決した。
 次にテント本体。何も入れずに自立させたら、またたくまにどこかに持っていかれそうなので、立てる前にザックを中に放り込む。
 で、ポンチョの上に敷き、ポールを通す。しかし、テントの床面積はポンチョより広いので、自立させるには、ポンチョを固定している石を一旦どかさなければならない。
 どかした途端、ポンチョが吹っ飛んだ。また1からやりなおしである。ここで5分くらい、同じ作業を繰り返した。
 ここはポンチョを石でなくペグで固定することで解決した。かに見えた。一応、ポンチョが行儀良く敷かれた状態で、テント本体がその上に自立したのである。
 じゃあ次はフライだ、とフライを取りにテントから手を離した。その途端、風でテントが浮き上がった。なぜか一緒に、ポンチョに打ち付けたペグも次々と音を立てて抜け、ポンチョの隅のうち2箇所が、宙に舞った。しかし、ここでテントから手を離すと、テントごと失う羽目になる。ポンチョが風にもみくちゃにされ、作業が一からやりなおしになるのを黙って眺めるしかなかった。
 更に5分ほど無駄な作業を繰り返した末、ようやくフライを張って、本体を8箇所から石とペグで固定し、テントの中で一息つけたときには、体が極端に冷え切っており、身震いどころかがちがち振動していた。

 昼2時過ぎ。早めの晩飯を食い終わり、ひとりヤマネをしている所、テントの外からぼくを呼ぶ声がした。女性の声である。食器を隅に放り出し首を出すと、昨日黒部の登りでお会いしたおばさんである。
 「お茶入れたんだけど、一緒におやつ食べない?」
 外はまだ嵐なのに、わざわざ小屋から声をかけに来ていただいたらしい。取るものもとりあえず、と言いながら懐電と食器。そしてブキも忘れず携えて、小屋に向かった。
 小屋の自炊室(トイレの隣)で、コッフェルからは湯気が立ちのぼり、テーブルにはビーフジャーキーが散乱していた。飯喰ったばかりというのに、よだれが出てくる。

 生中が注文された(800円)。
 うれしさのあまり、カメラを取り出し写真に納めてから、おもむろに杯を干した。
 話の途中ぼくが、「出身校ですか? 広島大です…」と口にしたら、脇で食事していた別のパーティーのおっちゃんが言った。
 「あれ? 兄ちゃんも広島大なの? いまさっき小屋の玄関に、広島大のパーティー来てたよ。男4人の」

 どうやら、どこかの夏合宿と遭遇したらしい。「すぐ戻りますから」とおばちゃん達に断って、玄関に廻った。そこにたむろっていたのは、風雨に叩かれて憔悴しきった、コンダムパーティーだった。
 川鍋のパーティーであった。
 その夜は、差し入れを携えて1時間ほどテントにお邪魔させていただいた。

 O久保君の恋話に終始した。

【第9話】 厳寒の槍ヶ岳に天ノ川が架かる  〜9月3日(日)〜


天気
終日快晴

行程
 双六小屋C8-0:25-樅沢岳-1:37-千丈沢乗越-0:45-槍岳山荘C9 [2:47]
 加えて槍ヶ岳ピストン3回・だいたい登り 0:06。下り 0:07。
 (ザック重量 … 22キロくらい)

幕営可能点
 (1) 槍岳山荘
  張数 … 30程度
  張る場所の指定 … 受付時、パーティーの人数に相応の場所を割り振られる。混みすぎていると、下の大槍ヒュッテ等に廻ってもらったりしているとの事
  地形 … 棚田状の斜面。槍は直視できないが、南側の展望がよい。場所によっては、テントの端が宙に浮いたり、下に岩が埋まっていたりして、眠れぬ夜となる
  ペグ … 刺さりにくい。石でたたき込むとペグが折れてしまう。重石に細引きを巻いて固定した方が吉か?
  風 … 吹きさらし。寒い
  虫 … 晴れている日にアブが現れる程度。就寝中は気にならない
  小屋まで … 徒歩2分
  水場まで … 小屋でリッター200円
  トイレ … 小屋とテン場の中間にある。独立した建物。男女兼用。個室は隙間が多いので、昼であれば懐電は要らない
  気象通報 … バッチリ入る

水場
 (1) 槍岳山荘 … リッター200円。朝は 5:30 位から販売すると言っていた

電話
 (1) 槍岳山荘 … カード・硬貨併用の公衆電話。いつも混雑している

小屋
 (1) 槍岳山荘
  大規模な小屋である。しかし、玄関の土間より奥には入った事がないので、内部構造はよく分からない。しかし相当な部屋数を擁しているに違いない。定員も何人入るのか不明。もっとも9月になってからは、定員を夏期の半分に設定しているそうである。よって、予想外に大きな団体が来ると、一人あたりの食事の量や人口密度に影響が出るだろう。
  手紙の投函はできないが、絵葉書、封筒、タオルにバンダナ、バッヂ、テレホンカード、写真集など、土産物は豊富。おやつ、特にジュースの種類が多い。
  小屋の玄関前は「テラス」という名の展望台になっている。槍はこの位置からは、やや右に傾いた正三角形に見える。朝焼け、夕焼けの時間帯はテラスのラッシュアワーだ。混みすぎて小屋に入れない。

 夜、風の音で何度も目を覚すが、ある時を境に辺りは極めて静かになった。
 紅色薄明かりの中、シュラフに入ったまま上半身を起こし、テントの入り口を開ける。ガス空の単調な彩度でない、色気づいた光が地面を照らしているのが、フライの隙間から見える。地面がオレンジ色に光っていた。
 「やった」。ほくそ笑み、フライを全開にする。

 物凄い色の空だった。
 双六池を取り囲む稜線は、赤紫、青、オレンジ色で層状に切り分けられた空と、まだ光の届かぬ湿っぽい山肌とを明確に分離していた。
 山肌もじきに緑を煌々とさせるだろう。その頃には山頂は、朝陽を浴びて輝いているだろう。朝飯くってる間にそんな光景を見逃すのも癪なので、飯はあとまわしにしてテントを出た。吐く息がかすかに白い。
 テン場の緩い斜面を、東の空が見える小屋のはずれまで登り返した。ここから樅沢岳を見ると、逆光になって格好いい。

 後ろから、川鍋たちが現れた。とっくに飯も撤収も終わり、これから出発する所だった。朝陽に向かって樅沢岳を登ってゆく姿が絵になる。
 高い所から朝陽が見られる彼らが羨ましくなって、急に自分も見たくなってしまった。テントに戻り、飯を作る。

[双六小屋〜千丈沢乗越]

 川鍋たちに遅れること 50分。こちらも樅沢岳に駆け上がる。
 まだ西側斜面に日は射しておらず、登りは涼しい。ややきめの細かい砂利の上を、スイッチバック状に高度を稼いでゆくルートだ。
 樅沢岳からは、これから歩く西鎌尾根が一直線に見据えられる。西鎌の半分くらいの面積が、既に陽に照らされていた。東側に空を遮る山がないため、ここ樅沢岳は、朝日撮影の名所である。ぼくの腕くらいあるぶっとい三脚を土台に、四六版の金のかかりそうなカメラで、次々レンズとフィルターをすげ替えながら撮りまくっているおっちゃんが多い。もっと夏の盛りの時期だと、「レンズの向く方向がバラバラのカメラ小僧集団」に埋められるらしいので、気の弱い人はご注意。

 西鎌尾根は、尾根の真上でなく、斜面の横腹を巻くように歩く箇所が多い。無理矢理稜線上に踏み跡をつけてある所もあるが、岩峰が多く、アップダウンが激しく疲れるだけなので、歩くには適さない。
 登山道は、なるべく楽に歩けるよう、高低差が最適化されている。あまりに不自然な歩き方(e.g. 三点確保、ガレ場歩行)をしないといけなくなったら、恐らく道を間違えている。
 同じような景色が続くが、槍ヶ岳は少しずつ大きくなってくる。千丈沢乗越まで来れば、槍の肩まで続く急登が目前に迫り、迫力のあまりため息が出るだろう。ここで川鍋たちに追いつく。

 千丈沢乗越には行先案内板がある。飛騨沢沿いに新穂高温泉に下るルートが分岐しているのだ。こちらに向かって登ってくる人の姿が見えるが、急登で大変そうだ。

[千丈沢乗越〜槍の肩]

 槍の肩への登りは、西鎌尾根をそのまま急登にした感じのルートだ。最後の方はスイッチバックになる。
 肩の少し手前に、斜面からぴょんと突き出た岩峰が見える。ここの脇を越えたら急登は終わりだ。これが見えるかなり前から、「あの坂を越えたらゴールだ」と思わせる紛らわしい箇所(いわゆる、逃げる峠)が何度か出現する。岩峰がゴール、と覚えておけば、無駄に絶望する事はないだろう。

 槍の肩にも当然のように看板がある。焦茶色の木板に、白い毛筆体フォントで行き先の書かれた看板である。長野県の山域でよく目にする。

[槍ヶ岳ピストン]

 テントを張る前に、槍ヶ岳にピストンをかける事にした。
 中途半端な時間なので、登山者はほとんどいない。晴れた日なら、頂上へのルートに人がどのくらい張りついているかよく見えるので、混雑のひどくない時を見計らってさっと登る。
 渋滞していると、はしごや鎖場が現れるたびに何分間も足止めを食らったり、すれ違いざま落石を降らされたりと、あまり良いことはない。待ちきれなくなって、鎖場で「バリエーションルート」などと称して強引に追い抜きをかけると、自分が加害者になる可能性もある。
 ペイントがたくさんあって、登り専用、下り専用も区別しやすい。しかし渋滞…
 ピークは、だいだい5坪くらいの広さだ。地形は三日月状で、北端に祠がある。ここを写真に含めないと、槍のピークで撮った写真ということが分かりにくいので、たいていの人は、この祠を写真撮影に使う。よっていつも混雑している。
 この祠の向こう側は、北鎌尾根をぼんやり眺めていられる絶好の景勝地である。少し北鎌尾根を降りて、新田次郎の小説でも回想していると、またここをせめぎ上がってきたいな、とやる気が湧いてくる!
 良い展望だった。視界360度。北は針ノ木。東は松本市内。西は薬師岳。南は西穂高まで、手に取るように分かる。過去の山行の記憶をたどりながら、稜線をなめてゆく事ができる。

 小一時間もすると、西の方から大量の雲が押し寄せ、ピークはガスに包まれてしまった。
 一旦肩まで戻り、テントを張る。ピークがガスに包まれているだけで、テン場の日射しは強かった。雑巾のようになっていたテントと、靴下やシュラフを干す。またたくまに乾いていった。しかし臭いは取れそうにない。
 槍を眺めたり、スケッチしたり、写真に撮ったりして、贅沢な時間を過ごす。昼過ぎに、ピークのガスが晴れたのでまた登りに行く。今度は川鍋たちと一緒になった。
 この時の方が人が多く、渋滞も激しかった。午後一番は混むのだろう。
 頂上では、また贅沢な時が流れた。

 今夜は、学生の頃からの夢をひとつ実現させたかった。「槍ヶ岳ビバーク」だ。
 それは字のごとく、槍のピークで夜を明かすのである。槍の穂陰でシュラフに潜り、首だけ出して空を仰ぎ、世界で一番星空を近くに見る男になるのである。

 槍の肩から見る空はいつも綺麗だ。
 天ノ川が横切る満天の星空を見た。明けの明星が光る青黒い空を見た。ご来光を拝んだ。蒼天に突き出た穂先を見た。生き物のように沸き上がるガスに呑まてゆく空を見た。落日にたそがれる、観光地としてのたたずまいを見た。日没後の残照、赤紫の地平線を見た。
 それらを、槍の穂先に寝ころんで、周りに何もない、ただ空だけが見える空で、目に焼きつけたい。誰もいない、風の音しか聞こえてこない、飽きるまで空想、夢想にふける時間をたしなみたい。
 そんな意気込みで、晩飯はかなり食い溜めした。

 飯を食っているときから徐々に気温は下がり始め、早くも寒くなってきた。標高3000メートルを超えているだけあって、一旦太陽が本気でなくなると、とたんに、体温を吸い取られるような激しい冷気が襲ってくる。
 夕方6時頃、ビバークできる道具をザックに詰めて、こっそり出発した。テントは、非常用に建てたままである。
 夕焼けを撮りに登っていた人たちと、途中すれ違った。「ビバークですか?」「はい」「やばくなったら、岩を掴む力が残っているうちに、降りてくると良いよ。無理すんなー」ありがとうございます。

 ピークの、祠を回り込んだ先の岩陰でマットを敷き、シュラフごとザックに入って、ポンチョをかぶって横になった。
 地面との接点がすくない方が、冷たくない。

 地獄の悪寒が襲ってきた。
 星は、文句の付けようがないくらい空一面に密集していた。三日月が一角を占領していた。
 槍岳山荘の明かりが、まるで穂高連峰全体を照らしているかのように、周囲の稜線は、ぼやっと浮かび上がっていた。しかし実際は、月明かりと、松本市内の明かりのせいであろう。
 松本郊外で、花火が打ち上げられているのが見えた。夏祭りが催されているのだろうか。ここから見ると、大輪の花火も、線香花火にも及ばぬ位に小さく見える。高々と打ち上がっているのだろうが、地表で爆発しているように見える。音もまったく聞こえてこない。細胞分裂のCGを見ているようだった。
 三日月といい、花火といい、いま目で見ている景色すべてが、この世のものとは思えなかった。

 体を温めるために、7:30頃、一度小屋に降りた。電話などかけて、適当に体がほぐれた後、テントから、食料の残りまで布団にするために取り出し、再びビバークポイントに戻った。

 月は徐々に高度を下げ、漆黒は止めどなく広がっていった。
 代わりに、月の光で見えなかった天ノ川が、真一文字に浮かび上がった。

【第10話】 凍った夕立  〜9月4日(月)〜


天気
快晴→ガス→みぞれ(15:00頃)→くもり

行程
 槍岳山荘C9-0:15-大喰岳-0:33-中岳-0:28-天狗原への分岐-0:14-南岳-0:06-南岳小屋-0:50-A沢のコル-0:50-北穂高小屋-0:51-涸沢槍-0:31-涸沢岳-0:10-穂高岳山荘C10 [4:48]

幕営可能点
 (1) 南岳小屋
  張数 … 20程度
  張る場所の指定 … なし。早く来たパーティーが、快適に寝る権利を有する
  地形 … 緩い斜面。岩の世界・穂高を造成した上であるため、多くのサイトは快適でない。掘りおこせない石が多いのだ。
  ペグ … 刺さりにくい。
  風 … よく分からない。しかし、西風が強い?
  虫 … よく分からない。
  小屋まで … 徒歩1分。
  水場まで … 小屋でリッター200円。
  トイレ … テン場にある独立した建物。明治時代に建てられた学校のトイレを思い浮かべていただくと分かりやすい。すきま風が強い。
  気象通報 … 知らない。昨年は入ったはずだ。
 (2) 北穂高小屋キャンプ場
  張数 … 30程度
  張る場所の指定 … あり。テントの大きさに応じて場所を割り振られる。
  地形 … 強引に造成された稜線の上。テント同士もかなり離れる。設営の難しさと寝苦しさ(下の石)は天下一品。
  ペグ … 刺さらない。石で代用するしかない。
  風 … 吹くがままに受けてしまう。
  虫 … よく分からない。
  小屋まで … 小屋→テン場 0:07。テン場→小屋 0:10。遠い。アップダウンの多い岩場なので、酔った状態で歩くと危険。宴会の後で小屋に用を足しに行ったりするときは注意。
  水場まで … 小屋でリッター200円。値上がりしている…
  トイレ … 小屋の脇にある。手洗い用の水が洗面器に満たされている。テン場からは遠いので、催す前にテン場を出ないと、漏らす確率が大きい。またはやむをえずキジを撃ってしまう。テン場の周りの大きな岩の陰には、例外なく撃ってある。渋く独りで景色を眺めよう、などと気取ってひとけのない所に足を踏み入れるのは危険だ。
  気象通報 … 知らない。3年前は入ったはずだ。
 (3) 穂高岳山荘
  張数 … 50程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 空いた空間を無駄なく利用している。ヘリポート、石段の脇、防風壁の上。など。ヘリポートはコンクリートで舗装されているので快適だが、「ヘリが来る日は14:00頃まで張れない」「緊急時(怪我人や病人が出たとき)は夜中でもたたき起こされ移動を強要される」という罠もある。
  ペグ … 刺さりにくい。
  風 … 石段などを防風壁として使えば、凌げる。
  虫 … なぜか多い。
  小屋まで … 徒歩1〜3分。
  水場まで … 小屋でリッター100円。
  トイレ … 小屋のトイレを利用する。洗面所に鏡が付いていたり、水洗だったり(小の方)と、機能的。その上清潔だ。大の方には、一部屋一部屋、「マナスル」「アイガー」「グランドジョラス」などの名前付けられている。名前と何が比例しているかは不明。
  気象通報 … 入る。
  注意事項 … 幕営料は、ひとり600円。トイレ使用料を含むためらしい。診療所は、8/26 までの営業。すでに閉鎖されていた。

水場
 (1) 南岳小屋 … リッター200円。売り切れることも多いそうだ(小屋談)。
 (2) 北穂高小屋 … リッター200円。
 (3) 穂高岳山荘 … リッター100円。「融雪水だから、なるべくミネラルウォーターをご利用ください」と但し書きがされているが無視しよう。

電話
 (1) 南岳小屋 … カード専用の公衆電話。
 (2) 北穂高小屋 … カードと硬貨併用の公衆電話。
 (3) 穂高岳山荘 …カード専用の公衆電話。

小屋

 (1) 南岳小屋
 稜線歩きで熱くなった体を冷ますため。または、キレットで冷やされた肝を暖めるために存在している。入ってすぐが談話室。砂利敷きで、椅子とテーブルが置いてあって10人は腰掛けて休める。中に入りやすい雰囲気なので、テント泊の客も、ただ通過するだけの客も、気兼ねなく利用することができる。談話室を宿泊客にしか利用させない小屋が多い中、これは嬉しい配慮である。
(2) 北穂高小屋
 双六岳からでも確認できるほど目立つ小屋だが、なかなか近付いてこない。着いた時ほっとする度合いは他と比べ高い。おしゃれなペンションのような造りをしている。
 玄関の正面がちょっとした広場(約10坪)になっていて、ベンチとテーブルが置いてある。雨の日は関係ないが、晴れた日は、槍まで延々続くキレットを一望できる。雲の上の、青空談話室だ。
 広場の一角に、小さな売店が営まれている。雲の上の、エキゾチックな露店。ボトルワインが買える。絵葉書はかっこいい。「いちばん高い所にある山小屋」というフレーズがしたためられている。2セットも買ってしまった。
(3) 穂高岳山荘
 穂高連峰の中で、最も大規模な小屋の一つ。要塞に見える。
 売店の物価は一様に高い。例えばビールは、北穂高小屋ですら 350ml で500円なのに、570円もする。ジュースやコーヒーも同様に高い。唯一安いのは水だけだ。
 玄関を入った所が土間。たくさんテーブルと椅子があって、喫茶店の座席と休憩所を兼ねている。ここには24時間出入りできる。夜遅くでも、昼間焚かれていたストーブの熱が残っており、ほのかに暖かい。駆け込み寺。

 1秒を最初から最後まで実感できる程に、時間の流れが遅く感じられた。時針が1つ進むには、永遠に待たねばならないと思われた。

 槍の上空は相変わらず星が満開に咲き、夜は相変わらず空の隅々までべったり広がっていた。松本の街の明かりも次第に消え、肩の小屋も発電器が止まり、辺りは完全な静寂に包まれている。星の音が聞こえてきそうだった。

 視線はしょっちゅう東の地平線へと向き、白んでないかな、とその都度思う。朝が待ち遠しかった。何度か、空が少し明るくなった錯覚に陥るが、目線を一旦手近の岩に移し、改めて見てみると、元の暗闇だった。暗闇を見つめすぎて、光を感じる器官が失調を来しているのかもしれない。
 体はとっくに冷え切っていた。途中何度か、紅茶を沸かし飲んだ。湯を沸かすEPIの炎も、気化熱不足で元気がない。寒冷地用にするべきだった。
 12時を廻った。闇に目が慣れ、天ノ川は河川敷まで見えるようになっていた。僅かに明るいのだ。

 夜中の2時、音を上げる。体中の関節は柔軟性を失い、ちょっと動いただけで、跳び上がるほど痛かった。
 しばらく柔軟体操でもしてから動いた方が良かったのだけど、1秒でも早くテントに帰りたかったので、そのまま駆け出すように出発した。といっても、普段の半分くらいのスピードしか出ていなかった。
 テントに飛び込んで息が整う。気管を通る吐息も冷たく感じられた。何杯目かの紅茶を沸かし、三温糖とラードをたっぷり注ぎ込んで飲む。睡魔が襲ってきた。

[槍岳山荘〜大喰岳]

 4時起床。保温された空間のはずなのに、起床直後は息が白かった。
 ビバークには冬用シュラフか、もっと根性が必要だ、とメモに綴りながら、棒ラーメンをすすりこむ。マロニーで増量してしまった。
 起床直後は暗かったが、テントを撤収している間に、待ち焦がれていた朝ぼらけが現れた。紫色の空。徐々に星空が消滅してゆく。

 快晴の上、風もなく、三脚を固定して写真撮影しまくるには都合が良い。4:40 頃には、懐電なしで山行できるくらいの明るさになる。
 この15分くらい前から、空を狙ってカメラマンの群れが槍を登り始める。ほどなく行列に変わるだろう。ピークでひとり静かに日の出を見たいなら、4:00 には登り始めた方が良い。

 気の済むまで写真を撮って、出発した。川鍋のテントはまだ静まり返っていた。書き置きして先に行かせてもらう。
 飛騨乗越への下り斜面は凍っていた。地面を踏むと、霜柱が音を立てて割れ、きれいな足跡が点々と残った。
 大喰岳への登り道も、霜柱と霜に覆われていた。空が次第にオレンジ色に変わってくる。昨日寝坊して見れなかった分も、朝日を堪能できてラッキーだ。
 峠を挟んだ槍ヶ岳を何度も振り返る。槍ヶ岳は、大喰岳を絡ませて眺めるのが一番かっこいいのではないか、と思う。個人的に「大喰槍」と呼んでいる。
 大喰岳のピークは登山道から30メートルほど離れている。看板あり。

[大喰岳〜南岳小屋]

 中岳まではなだらかな稜線が続き、ピーク手前でいきなり梯子場になる。10段くらいのが2つだ。登り切ったらすぐピーク、ではなく、更に100メートルほど行った所に三角点と看板が立っている。
 中岳の下りは、少々傾斜がある。昨年までは、むやみやたらと踏み跡が交錯しており迷いやすそうなルートだったが、今年は改善されていた。やばそうなトレースは封印され、ペイントも本線以外の所は全部バツ印で統一されていた。
 中岳・南岳の鞍部には相変わらず大きな雪渓があったが、水がくめないのは相変わらずだった。「水がくめる」というのは、一体いつの時代の詳細なんだ?
 ここらで稜線はガスに巻かれ、東側下方の山裾が僅かに見える程度になる。
 天狗原への分岐にも看板。過ぎて5分ほど歩くと、三点確保の必要な箇所が現れる。稜線のやや下方を、へつり気味に50メートルくらい続く。
 それを越えると南岳ピークだ。しかし、もうちょっと行くとすぐに南岳小屋なので、ピークでは休憩せずそのまま小屋へ向かった。
 南岳に来るのはこれで4回目だけれど、4回ともガスの中だった。展望は本当はどんななんだろう…

 南岳小屋は登山道のすぐ脇にある。登山道を右に折れて、左の建物が小屋。右の建物が倉庫だ。
 休憩室(小屋の土間)の壁には、最新の登山情報を記したパンフレットがべたべた貼ってある。それによると、一昨年の地震で崩壊し通行止めになっていた槍平へ下る道が、復活したらしい。ただしルート取りがちょっと変更になっている。
 2640メートルの等高線と交わる位置までは地図の点線と同じだが、そこから南に折れる。尾根に乗るまでトラバースし、 2040メートルまで尾根づたいに下る。そこでまた北に折れて、約300メートル、地図上の点線までトラバースだ。あとは槍平まで、地図と同じ。
 これは、1/50000 槍ヶ岳・平成5年修正版での話なので、今後修正版が発行されるときは、ちゃんと上記のルートに点線が書かれていることだろう。もっとも、エアリアとかに反映される方が早いかもしれない。

[南岳小屋〜北穂高小屋(大キレット)]

 4度目の大キレットである。
 まず、南岳小屋からペイントだらけのガレ場を下る。手も使った方が安定するだろう。ストックを持っていると邪魔なので、仕舞う。地図ケースやコンパス、ザックの横でぶらぶらするシュリンゲ(持っていってないけど)やカラビナも、仕舞うか、ザックカバーの下に隠すと歩きやすい。
 下りが終わる直前に、長い梯子が2つ連続して現れる。上からの落石注意。いくら歩かれている登山道とはいえ、山は徐々に崩壊していくものだから、やっぱり浮き石はあるし、ここは特に多い。
 梯子が終わった所がちょっと広場になっていて、休憩に適している。
 すれ違い、追い越しの事を考えると、特に大人数のパーティーの場合、休憩するにも場所を選ばねばならない。
 次におおっぴらに休憩できるのは、長谷川ピークの手前になる。そこまでは、西鎌尾根のような適当な稜線が続く。目立つ所と言えば、長谷川ピークの手前にあるピョコだろうか。ガスっていると長谷川ピークと錯覚しやすいので、「ニセ長谷川ピーク」と呼ばれる。

 長谷川ピークは円月輪ふうの岩峰で、稜線づたいにへつって越える。このピークからがキレットの核心部だ。
 長谷川ピークには、歩く位置が20センチずれたら落ちる、ような所が2箇所、各30メートルくらいあるが、丈夫な鎖が据え付けられているので、最悪しがみついていれば落ちない。
 また、これらの地帯の前後は、だいたい三点確保の必要な登攀/下降になる。落差10メートルくらい。岩が所々人工的に穿ってあるので、スタンスとかは豊富。角が丸くなっている窪みは、それだけスタンスとしての実績がある証拠なので、信頼して体重をかけても大丈夫。なことが多い(たまに、左右に揺すると動く場合が…)。

 長谷川ピークを越えた所が「A沢のコル」と言い、休憩適地だ。ただし時々、北穂高側からガレ石のシャワーが降りそそいでくる。北穂側はかなり急斜面で、ガレ場も多いのだ。
 この登りでシビアなのは、途中現れるルンゼ状のガレ場(鎖つき)と、その直後の岩峰の基部トラバースだ。このガレ場を通称「飛騨泣き」という。高度感抜群で、笑顔がもれる。渋滞が多い。
 トラバースが終わると、しばらくただの急登になる。北穂高小屋の直前で、最後にもう1回、短い鎖場が現れて、キレットは終了する。急登が大仕事なので、この小屋に着いたときはいつも安堵感に包まれるものだ。

 天候が良ければ小屋のテラスからは、槍からここまでのコース、つまりキレット全体が全部いっぺんに見える。小屋の2階の窓からも、きっと朝夕は、コントラストの強い綺麗なやまなみが拝めるだろう。金があったら泊まってみたい。

[北穂高小屋〜穂高岳山荘]

 北穂高小屋のテラスのまん中を、登山道は通っている。売店とトイレの脇も通り、階段を上がるとそこが北穂高岳のピークになる。円形の広いピークで、小屋の屋根がそこにめり込んでいるように見える。
 ピークを抜けて5分ほど石の階段を歩くと、涸沢への分岐に着く。看板あり。ここを涸沢方向にちょっと行くと、北穂高小屋のテン場がある。逆に稜線方向に登り返すと、涸沢岳へと続く、今日第二のアトラクション「涸沢槍」へ突入だ。

 ドーム状の小ピークの基部巻き、そこからしばらく下りが続く。途中、つるつるの岩に沿って下降を強いられる箇所がある。ザイルが残置されているが、切れそうになっている。クラックが縦に走っており、その中に足を突っ込むといいスタンスが見つかる。
 下りが一段落し、あ、平坦になってきたなと思ったら、目の前にはもう涸沢槍が迫っている。厳密には3つの小さな岩峰の集まりである。1つ目と2つ目は、直登または基部を巻いて越える。二つとも歩いてみたけど、直登の方が面白い。ただし、涸沢岳と北穂高岳に視界を遮られているので、展望による開放感より圧迫感の方が強い。
 3つ目の岩峰を越えると、ちょっと広めの鞍部に出る。かつて09の吉川が落ちそうになった雪渓のある所だ。今年も雪渓は健在だった。関係あるかどうか分からないが、この付近には花が多い。原色のきつい高山植物が、岩の隙間を埋めんばかりに元気よく密生している。これらの写真を撮るのは命懸けになる。何度も繰り返していれば、体が柔らかくなるだろう。

 鞍部から涸沢岳までは、壁のような急勾配が続く。高度感は、北穂高の登りよりも強い。ただ、一昨年の地震で受けた被害箇所を補修するついでに、ものすごく太い鎖を据え付けてあり、安全性は高い。銀色の新品の鎖だ。
 壁を乗り越えると平坦な稜線に出るが、涸沢岳ピークまでは更に100メートル歩かねばならない。結構疲れる。涸沢岳ピークには看板がある。奥穂高岳の撮影には、ここが適している。

 穂高岳山荘までのトレースは、たくさんありすぎて迷う。稜線づたいではなく、西側の斜面をジグザグに降りる感じになる。
 穂高岳山荘は比較的閑散としていた。テント泊を申し込み、ヘリポートの脇に張る。
 張るなり、空から頬に、冷たいものが落ちてくる。またいつもの夕立だ。夕焼けを隠さないでいてくれたら儲けものだな、と思いながらしぶしぶテントに潜り込んだ。
 そして、ゆうべ寝られなかった分、昼寝を始めた。

 いつもと違う雨足の音に目を覚ました。フライが雨を弾く音が、いつもより乾いた感じなのである。不審に思ってフライから首を出すと、降っているのは雨ではなく、みぞれだった。
 すでにテントの縫い目に沿って、白い層が積もっている。辺りの岩もザラメ状に変色してゆく。
 空気も、岩肌もどんどん冷えていった。今夜も寒さに震えて過ごすのか、と、すでに西から迫り来る夜空に不安をよせた。

【第11話】 馬ノ背ライディング  〜9月5日(火)〜


天気
はじめは快晴と雲海。10:00 頃ガス。13:00頃快晴になるが、15:00〜16:00頃
 にかけて夕立。その後、とき色の夕焼け空。
 

行程
 穂高岳山荘C10-0:40-奥穂高岳-0:10-馬の背-0:22-ジャンダルム基部-0:05-ジャンダルム-0:50-天狗ノ頭手前鞍部-0:16-天狗ノ頭-0:25-間ノ岳-0:35-西穂高岳-0:33-独標-0:33-西穂山荘C11 [4:30]
 (ジャンダルム基部〜ジャンダルムはサブザック行動)

幕営可能点
 (1) 西穂山荘
  張数 … 30程度
  張る場所の指定 … なし
  地形 … 小屋より一段下の、周囲を土手に囲われた平地。土の上で、石も少なく、今までで一番張りやすい。トリカブトとアザミが咲き乱れる色鮮やかな環境。癒される。
  ペグ … とても刺さりやすい
  風 … 無風。
  虫 … アブが乱舞。人を恐れず体にたかってくる。
  小屋まで … すぐ目の前。1分かからない
  水場まで … テント利用者は、小屋でリッター100円。それ以外は200円。
  トイレ … 小屋の裏手にある。ちょっと遠いが、小屋の軒先づたいに歩けば雨の日も濡れない。
  気象通報 … バッチリ入る

水場
 (1) 西穂山荘 … テント利用者は、小屋でリッター100円。それ以外は200円。

電話
 (1) 西穂山荘 … カード専用の公衆電話。衛星通信。
 (2) 携帯電話 … ジャンダルムの基部でiモードを使っている人がいた。西穂山荘でも、ドコモの携帯を使ってる人がいた。けっこう入る山域らしい。

小屋
 (1) 西穂山荘
  「西穂山荘」は略称でなく正式名称。
  宿泊施設のある本棟と、食堂兼売店の別棟に分かれている。間に、石碑の置かれた矩形の広場があり、本棟と別棟の玄関は、互いに直角な方向を向いて、その広場と接している。本棟の、広場を挟んで反対側の土手を降りるとテン場になる。別棟に沿って、本棟と反対の方向に歩いてゆくとトイレ。すべて赤茶色のログハウスで、清潔感がただよっている。ロープウェイから1時間で来れるため、お客さんも小綺麗な人が多い。更に女性多し。
  電話は本棟の玄関にある。テン場の申し込み、水補給、おやつ買いあさり、絵はがき購入などは別棟で行う。ただし別棟は、夕食の時間が過ぎた後は、店員さんが引き払ってしまって閑散とする。物を買うとき、大声で呼びに行かなくてはならない。立ち入りは24時間可能。
  売店でリバーサルフィルムを売ってる。カレーが1000円もするのは解せない。牛丼は、ない。
  夕食の時間帯限定で、生ビールの販売がある。
  ひとつ、気にさわる点があってね。夕食と朝食の時間、小屋の四方に向かって「食事の準備ができました。食堂にご集合ください」とスピーカー大音響で一斉放送されるのだ。夕食の時間は17:30頃だが、その頃こっちはもうとっくに寝ているのである。目が覚めてしまうのである。
  その後、空腹で寝付けなくなって、小屋に買い食いにいっちゃった。
  所で、松本市内の喫茶店「山小屋」って、この小屋が経営しているんだね。

 穂高の未明。

 朝から星空は満開だった。放射冷却のせいで底冷えしている。フライは凍りつき、あたりは一面に霜が降りていた。
 アンダー手袋を持ってきたら良かったな、と反省する。素手だと、テントを撤収するだけで、手が文字通り霜焼けになりそうだった。
 テント内でらくだを脱いでしまうと撤収中に寒いと思い(普段は撤収前に脱ぐ)、着たまま撤収する。小屋まで移動して、ほんのり暖かい土間に忍びこみ、ぬくぬく脱いだ。朝日を狙って早くも起きてる人がいるが、真っ暗なので着替えても分からない。

 次第に明るくなってくる。しかし登山道が霜で覆われているため、みな出発に二の足を踏んでいるようだ。滑るというより、梯子が冷たいのが問題だろう。足場を選べば、それほど滑らない。冷たいのは我慢することにして、登り始めた。

[穂高岳山荘〜奥穂高岳]

 まず、梯子が5メートル。これを皮切りに、10分間くらい、三点確保の必要なルートが続く。人通りの多い道の割に、踏まれていない岩も多く、落石しやすい。朝いっぱつ目の運動には少々こたえる。急登なので…

 急登が一段落すると、ゆるい斜面をジグザグ登る道になる。丘の向こうに奥穂高ピークを見据えながら道は続いている。背中側には、槍ヶ岳の黒いシルエットが、ピンク色の雲海を割ってそびえ立っている。これから1時間くらいに渡り、空の色がめまぐるしい、しかしどの瞬間も美しい変化を見せてくれるだろう。はじめのうちはまだ暗いので、撮影に三脚が必要だ。f5.6 程度のレンズなら、三脚無しの場合、感度800くらいのフィルムがないときつい。

 奥穂高ピークには2番乗りになった。キャビネ版の仰々しいカメラを携えた、カリスマ写真家のような方が一番手だった。撮影セット一式で、ぼくの年収に達しているとみた。厚かましく「すいませーん。シャッター押していただけますか?」と頼むまでもなく、「兄ちゃん、光が丁度いい時に登ってきたね。よかったらシャッター押すよ」と申し出てくださった。あとでできあがった写真を見ると、やっぱり構図がかっこよかった。

 雲海が、表銀座のむこうを埋め尽くしていた。朝日の熱を満身受けて、尾根を乗り越えようとしている所だった。やがて、まず峠から雲が一筋吹き出す。ほどなく、隆々と盛り上がった雲海の波は滝雲となって、横尾谷へと一斉に雪崩れおちていった。

 奥穂高岳は、標高3190メートル。日本第3位の標高を持つ座だ。以前も書いたけど、ピークに高さ2.5メートルのケルン--すでにケルンとは呼べぬほどうす高い塔--が人工的に建てられているので、物理的には2位の北岳(3192メートル)より高い。このケルンの上に祠があって、賽銭が5200円くらい貯まっていた。休日直後は儲かるらしい。

 日が高く上がるにつれ、人は次々登ってきて、ピークも段々居場所が無くなってきた。しかし、西穂高に続く道は、まだ霜がびっしり。まだ日陰はいささか滑る為、依然こっちには踏み込む勇気がない。フィルムをさらに1本使って、霜が融けるまで有意義に過ごした。

[奥穂高岳〜ジャンダルム]

 結局奥穂高岳には、1:25 も居座っていた。7:00発。ようやく日陰でも霜が解け、日向では乾いた岩も多くなってきた。ペイントづたいに稜線を西に進む。看板もある。
 しばらくゆるやかに稜線を下ると、尖塔のような小さな岩峰を登る。そこは、「馬の背」と呼ばれる岩稜地帯の上端だった。「ウマノセ→」とペイントが打たれている。

 進もうと思って、「おいおいマジかよ」と独り言が出た。細ーい細ーい岩稜を、急激に下降するルートだ。浮き石混合率は5%もないけれど、足場が少ない!
 ずっと三点確保で進めればまだ気も楽なのだろうけど、二本足でしか歩けぬ平坦な箇所が混じっており、たちが悪い。たとえ平坦でも細い事には変わりないから、綱渡り的なテクニックが要求される。間違えるともちろん落ちる。高度感満点。どっち側に転んでも落ちる。対策として匍匐(ほふく)前進、または後退も考えたが、傾斜はまったくもって0度に近いため、それだと足が踏ん張れないからダメである。「いっそ側面を三点確保した方が安定するんじゃ…」と思って、ちょっと稜線から外れてみたが、すぐシャレにならない事が分かって、慌てて戻る。
 距離が短いのが幸いだ。5分で抜けられる。降りきってから振り返ると、なかなかかっこいい稜線だった。

 一息つく間もなく、さらに下りは続く。望み通りの、三点確保ばかりが続く下りだった。馬の背を抜けてから12分でここは降りきって、鞍部に出た。で、三点確保のいる急登に転じた。ルンゼをよじ登って、一枚岩を右にトラバースし完了。目の前がジャンダルムだ。
 西穂高への登山道は、ジャンダルムの基部を南側から巻いて続いている。ジャンダルム・ピークへはピストンで向かう。最初はザックのまま行けないかな、と思ったが、途中の垂直な一枚岩をどうしても越えられず、諦めた(残置ザイルあり)。

 サブザックだと、まあまあ登れる。
 まず、ガレた天然の階段を上がり、腰くらいの高さの段差によじ登る。次は、肩の高さの縁まで5手くらいで登る。そこから大きな一枚岩が、ほとんど頂上まで続いている。クラックが走っているがスタンス/ホールドとしては小さく、充分体重をかけられない。ザイルもあるが、ボックスでザイルトレに使っている青ザイル以上に風化が激しいので、しがみつくと怖い。広島県立体育館の人工壁を思いだして越える。
 そこから頂上までは二本足で行ける。岩以外何もないピーク。誰かが建てた小さなケルンが、ここがピークですよと主張している。展望は全方向にある。風も弱く居心地よかったので、絵はがきとボールペンをザックから取り出し、景色と代わりばんこに眺めながら、1通したためる。

[ジャンダルム〜西穂高岳]

 下りも、登りの逆モーションで抜けられる。来た道を戻るのだ。技術的には、ザイルトレを溝つかわずに行く程度。
 ここから先。まず、ジャンダルムの進行方向左側(南側)の基部を巻き始める。左手に、谷ひとつ挟むような格好で続きの道が見えてくるが、谷を越えてここに乗り移る時は、ペイントの指示に従った方が良い。ちょっと遠回りになるが、従う方が結局早く着けるだろう。強引にショートカットすると、ジャンダルムの下降よりシビアな一枚岩を抜ける羽目になって、時間がかかる。
 しばらく、急なガレ場を下り続ける。ぼくの場合、約50分続いた。途中2箇所、ガレ場では飽きたらず鎖場になっている所もある。うち一つは長い一直線のルンゼで、左右は茶色いつるつる岩(呼称不明)でがっちり固まっている。壮快な眺めである。

 下の方から、山男風貌のリーダーにアンザイレンされて、おばちゃん3人組が登ってきた。坂の途中ですれ違う。自然な感じに陽に灼けたリーダーさんの爽やかな面構えと、日焼け止めの塗りすぎ、アンド急登で息切れして皮膚呼吸が苦しそうなおばちゃんたちの能面が、いいコントラストしていた。
 リーダーさんの胸に「ガイド」と書かれたバッヂが付けられていた。このようなツアーもあるんだね。いくらくらい儲かるんだろう… と考えながら先を急いだ。

 鞍部は、地図には出ていないけど分岐になっている。天狗沢を下って岳沢まで続いているらしい。看板もあるので、最近はよく利用されているようだ。さっきのおばちゃん達も、ここから来たと言っていたからね。
 四方を壁と尖塔に囲まれた閉塞的な鞍部で、あまり落ち着かない。天狗ノ頭方向からの落石が多い。
 次は、長い梯子だ。上端から下端まで一目では見渡せぬ梯子が、巌の裂け目に垂直にはめこまれている。登り始めると、みるみるうちに周りの空が広がってゆく。梯子が終わっても絶壁は終わらない。螺旋階段のようにスタンスとホールドは続いており、気がつくと単なる壁に貼り付いている自分にゾッとする。ザックの引力に逆らってぐいぐい登っていくのが楽しくてたまらない。次第に重さが感じられなくなってくる。そして、空の上の、名もない小ピョコの上に立っている。雲海が裾野を埋める浮遊大陸を、外国を歩いているような気分になりながら、鼻歌が流れてきた。
 ザックが再び意識にのぼる頃、天狗ノ頭だった。

 ただし、このようなハイソな気分に浸っていられるのは最初だけで、あとは次第にマンネリ化してくる。自分の場合、このへんでガスに巻かれてしまった、というのもあるけれど…
 なぜかというと、この後似たような景色が連続するからである。次の間ノ岳、西穂高岳、その間にある2つの岩峰、そしてこの天狗ノ頭を含めた5つのピークは、いずれもガレた急降で始まり、鞍部で急登に転じ、2、3度鎖場を抜けた後、ゆるいガレ斜面になって、次のピーク、と、パターンが読めてしまう。1試合8分程度。

 難しいのは、まず1つめ、天狗ノ頭下りの最後の部分。逆層の稜線を抜ける所だ。鎖を使わないと手も足も出ないくらい、見事な逆層です。
 2つめは、西穂高岳のひとつ手前の岩峰のぼり。石鎚の三の鎖並みに険しい。そして更にアップダウンはつづく。まだかなまだかな、と考えていると、「西穂高岳」の看板が、ガスの中にぼうっと浮かび上がった。
 やっと抜けられた…

[西穂高岳〜西穂山荘]

 ピークは、天狗ノ頭や間ノ岳と大差なく拍子抜けした。もっとも、ここで気を抜くと落ちると思い、西岡君からもらったチョコレートの、最後のひとかけら−−と言っても5センチ角×厚さ1センチあるが−−を飲み込み、景気をつける。

 そこから先の登山道はさすがによく踏まれており、砂もだいぶ露出していて歩きやすい。飛ばしすぎて膝を痛めないよう注意が必要だ。歩きやすい道になっても、ありがたいことに相変わらずペイントは多い。サクサク歩いていても迷わない。

 独標は、ちょっとした展望台になっている。格好いい岩が何個も用意されていて、格好いいポーズ(e.g. パンゼロ)でキメるのに都合よく作ってある。
 ロープウェイから2時間で登ってこられるため、ここら一帯は、乗鞍岳頂上、美ヶ原、富士山六合目、大台ヶ原頂上付近、大山鏡ヶ成、とまあそんな雰囲気の場所。日帰りで登りに来てる人たちの弁当、手持ちの食料のうまそうなこと。あんな色鮮やかな野菜を丸かじりできたら… と口の中が酸っぱくなるのをこらえきれなかった。

 独標から先、さらに道幅は太くなり、あれほど道端に満載だった岩もすっかり疎らになって、稜線はハイマツ帯になってしまった。ここを、背広姿の方とすれ違ったりしながらヘロヘロ歩いていると、西穂山荘に着く。
 ずいぶんとゴールが近付いているんだな、ということが、小屋の門構えや、テラスで和んでいる人たちの服装や持ち物から察することができた。

 今夜は下山カレーである。

【最終回】  I only catch up you then.  〜9月6日(水)〜


天気
層雲でくもり→快晴

行程
 西穂山荘C11-0:05-上高地への分岐-1:39-焼岳小屋-0:12-中尾への分岐-0:31-焼岳-0:23-中尾への分岐-0:12-
 -焼岳小屋-1:03-ロード出合-0:37-河童橋 [4:42]
 (焼岳小屋〜焼岳はサブザック行動)

幕営可能点
 (1) なし
   正式なテン場はない。焼岳小屋〜中尾への分岐の途中にあるピョコ(通称、焼岳展望台)の上に張るスペースはある。
   なお、焼岳小屋周辺は幕営禁止。

水場
   上高地に着くまで、ない。焼岳小屋でも売ってるかもしれない。
   ジュースは売っている。

電話
 (1) 上高地周辺
   上高地温泉ホテル、河童橋の周辺、バスターミナルなど、至る所。

小屋
 (1) 焼岳小屋
    あまり活気の感じられない山小屋。穂高の主領域から外れている上に、9月の平日だから無理はないか。扉は開いているが、従業員のいる気配がしない。廃屋のように中は薄暗かった。
    建物とインテリアがちぐはぐな感じ。小屋の前にベンチとテーブルも置いてあるが、むかし役場で使っていたやつのお古らしく、あまり山の景色に溶け込んでいない。
    どういう雰囲気といったらいいか。広島の猿猴橋電停の前にある「純喫茶パール」が一番似通ってる。あれの木造版。
    ただし、素泊まり 4,900円という料金は、今まで見た中で最も安い。
    しかし「ビール」と銘打って売ってる飲み物は、発泡酒だった(麒麟)。

 起床直後はメロンサンデーが食べたくなった。もう棒ラーメンしか残っていないので、2食分一気に食べて気を紛らわせる。食料はあらかたなくなり、あれほどザックを膨らませていた食料袋も、ヘッドに入る位に小さくなっていた。体重は増えるどころかむしろ減っているので、全部運動エネルギーに変わるか、ウンコになって出ていった筈である。人体の驚異を定量的に推し量れる、良い例だろう。

 テントの外は曇り空だった。空気まで湿っぽい。雲の陰影と輪郭ががはっきり分かるくらい、空の底が低い。雨になっても不思議でない。降ったら、帰りのバスが寒くなるので、何とかもちこたえて欲しい所だ。

[西穂山荘〜焼岳小屋]

 テン場の奥の取り付きから、林中に入る。木陰に覆われて歩くのは何日ぶりだろうか。草いきれが懐かしく漂っている。足元は両側から僅かに茂みで覆われ、歩くと、しゃり、しゃり、と雑草の奏でる音がした。
 最初の下りの途中、木にプラスチック板がくくりつけられているのを何度も見る。しつこい位に。「←上高地へ」「焼岳へ→」と書かれている。
 分岐に一つだけ付けてあれば事足りるのだが、たくさんあるおかげで、かえってどこが本当の分岐なのか判断に迷う。キジ道や、西穂山荘の水道保守用と思われる紛らわしい分岐が多いのである。
 本当の分岐には、白い毛筆フォントの、木でできた看板がある。これに出合うまでは、惑わされず一番太い道を歩き続ければよい。

 稜線は完全に樹林帯の中で、焦茶色の地面も暗くて黒にしか見えない。熊が出そうな森である。しばらく展望は全然拝めない。小さな、しかし「一仕事」と呼ぶのに充分な大きさのピョコが2つ現れ、越えると割谷山トラバースが始まる。とはいうものの、手前のピョコと同じくらいアップダウンは大きい。もっと景気良く巻いてくれないものか。
 ここまで79分、ピッチ置かずに飛ばした。小屋まで一気に行けたら行ってしまいたかったけど、地図上であと1つ、ということはダマしも入れてあと最低3つは、ピョコ越えをしなきゃならんな、と思い、そこで休んだ。
 木々の隙間から、うまい具合に霞沢岳が見えた。空が、明るくなると同時に段々青みがかってくる。雲が陽の光で飛散しているのだ。
 焼岳の上空が待ち遠しくなった。

 次を急いだ。森の坂を、下から風が吹くくらいの早さで駆けて、鞍部へ下りた。
 焼岳小屋は、森の奥の一軒家。玄関前に、ロッククライミングの練習に使えそうな、大きな岩が転がっている。直径10メートル以上はあろうかという、球状の古びた巌だ。てっぺんに松の木が根を下ろしている。
 岩のせいで、小屋前の庭はそんなに広くない。ベンチが3脚とテーブルが1脚置いてあって、腰を下ろすと何だか、奥多摩のどこかの別荘にいるみたいな気分になった。林の底だから、あまり稜線上という気がしない。

 岩陰にザックを置き、サブザックを引っぱり出す。ピストンスタイルで焼岳に向かった。小屋のすぐ正面が分岐で、看板がある。行き先表示板と、焼岳の活動年表だ。

[焼岳小屋から焼岳ピストン]

 小屋からすぐのピョコを登ると、焼岳の眺望が良い高台に出る。「焼岳展望台」だ。林は途切れ、苔と笹、小さなハイマツの茂み。あとは適当に岩が散らされた平野が広がっている。起伏はなだらかである。
 展望台の一番高い所まで上がると、焼岳まで一直線に見える。ここから先、まず中尾への分岐まで少し下り。対岸の登り斜面は、スキー場に使えそうな緑の草地だ。トレースが縮れ縮れにピークに向かって延びている。緑色は中腹で徐々に肌色に変わり、頂上付近では灰色掛かった茶色に化けている。もうトレースも保護色で分からない。
 頂上付近の山並みはギザギザで荒削りだ。カルデラは、スプーンでごっそりえぐったようなパラボラアンテナ型をしている。

 すっかり空は晴れ渡り、絹雲か、飛散する朝もやの残沙かが風に流されていた。質感の似た硫黄の煙が、焼岳から立ち昇っている。
 よく見ると、周りの岩陰からも立ち昇っている。
 はじめは、朝露が蒸発しているのかな、と思っていたが、近付いてみると匂いつきの煙だった。朝霧にしてはいつまでも消えず、あちらこちらから吹き出し、何よりここに来るまで一度も目撃た事がなかった。噴煙だったのだ。
 中尾への分岐に下りる手前でも、2箇所から吹いていた。今は晴れているから良いが、雨の日に見かけたら、きっと心細い気分にさせられるオブジェだろう。気味が悪そうだ…
 分岐には行き先案内板あり。

 鞍部から焼岳を見ると、斜面を少し上がった所に大きな看板が見える。そこまでが草原地帯で、それ以降が火山岩の世界になる。看板までは落石もなく歩きやすい。
 看板には、「ここから先は危険」という意味のことが書かれている。何が危険かというと、落石、ガレ場である。傾斜は強くないので滑落の心配はないが、ガレ場に足を取られると転倒し、擦り傷だらけになる。
 ペイントはあるがトレースが分かりにくいので、踏まれていない所にうっかり入ってしまう場合がある。
 ガスの噴出する箇所も増えるが、わざと近付いたりしない限り危険ではない。ただし、ぼくのように呼吸器や肌の弱い人は、長時間いると気分が悪くなってくる。こればっかりはどうしようもないので、途中休んだりせず一気に登ってしまおう。

 最初トレースは、巨大な溶岩ドーム目指して登っているように見える。実際は、ドームの手前で道は折れ、基部を巻いている。この付近に、大きな噴出口が2つあり、どろどろした黄色や青色の物質が岩にからみついている。
 稜線のような高台に出ると、そこが分岐になっている。まっすぐ進むと中ノ湯温泉へ。右折すると焼岳へと行ける。看板あり、だ。
 最後一箇所だけ、3手の三点確保で崖を越えたら、登山道の終点だ。袋小路になっていてそれ以上は進めないが、一応ピークのような体裁が整っている。焼岳の火口と、マリンブルーのカルデラ湖が眺められる。地形上のピークではないが、そこは立入禁止なので、ここが登山する上ではピークとなる。
 三角点付近に撒かれたお賽銭は、硫黄に洗われ続けて黒く変色していた。五円玉は蕎麦ボーロのように砕けていた。
 火口からは間欠的に、生暖かい噴煙が放出され、視界を白く塗りつぶした。

[焼岳小屋〜河童橋]

 小屋まで戻ってきたら、合宿最後のピッチが始まる。サブザックを仕舞い、水を1リッターだけ残して捨てた。

 笹野原をジグザグに下りてゆく。日射しはすでに蒸し暑く照り、空気がねばっこく感じられた。しばらくすると、右手に大崩壊した涸谷が見えてくる。正式名称は「峠沢」と言い、爆破されたような崩れ方だ。
 途中唐突に長い梯子場が現れる以外、これといって危険な個所はなく、どんどん高度は下がってゆく。暑くなってきた。峠沢に砂防ダムが見えた頃、最後の林の中に入った。高度を下げるに従って、徐々に大きな木に変わってゆく。蛇が多い。
 焼岳小屋に向かう歩荷さんとすれ違った。麒麟(発泡酒)を45キロほど背負い、殺気を漂わせながら歩いていた。足音がやけに大きい。そういえばあそこの小屋、ヘリポートもなかったし、物資補給は人力に頼っているんだね。うちの部からもバイトを派遣してはどうだろう。

 道はやがてほぼ平坦になり、木漏れ日の先に木漏れ日が見える遊歩道になった。嬉しくなって、歩幅を少し大きくして歩いてみた。それでも息切れせずに歩けるのが、ゴールが近付いてきた証拠のようで気分良い。
 林が途切れるのが遠目に分かった。久しぶりのロードである。ここから先は車が入れるのだ。RV車の他、治山工事用のトラックがよく通過する。少人数であれば、ヒッチハイクもいいかもしれない。ただ、アスファルト舗装でなく、よく見ると地面が剥き出しだった。

 わずかに波打ち続くロードを歩き続ける。最初のうちは、工事用道路という雰囲気しか感じられない(たとえば、猿谷山の登りのロード風)が、次第に観光地に変わってくる。パンフレット片手に歩く観光客がちらほら現れる。化粧の匂いがした。
 左手に上高地温泉ホテルが見えた。600円で入浴できると書いてある。着替えさえ持っていれば、ここで垢を落とすのもいいね。

 ウェストン碑の少し手前に、名の知れぬ小さな祠を見つけた。道から少し外れた林の中だ。
 木でできた、色もすっかり褪せた、社造りの構えだった。
 祠は小さいが、周囲にぐるりと植えられた杉の木は、皆、数十メートルの高さがあり、それは見事なものだ。陽の光も、幹や、その周りの樹木に遮られ届かず、あたりは薄暗い。祠の大きさにしては、余裕のある空間が設えてある。
 道にはたくさんの登山者が行き交いしていたが、誰も立ち寄ろうとしなかった。
 惹かれるように、祠の前に誘われる。無神論者の自分が何を祈る気になる筈もない、と分かっていたが、林の涼気に吸い取られるように、心に張りつめた糸が抜かれていった。
 背後から聞こえてくる観光客の談笑も耳に届かない。静まり返った(シーン)という音が聞こえ、辺りに満ちた。直前の出来事が記憶から抜けていった。これから河童橋までの道順も、思考から逃げていった。直前直後の事が気にならなくなった。その分、数日前の記憶がだんだん蘇ってきた。
 柔らかい土を踏んだ。すると、欅平のコンクリート道を抜け、分岐を曲がった時の一歩を思いだした。その時の気分まで思いだした。合宿初日の話である。東京の向こうに置いてきたはずなのに、ここまで引きずってきてしまったしがらみのせいで苦しんでいた。登れば一歩、東京に近づけるのに、町の面影を残した欅平から離れるのはつらかった。どうしたら楽になれるのか分からなかった。
 今、どうして楽になってるのか、それは依然分からない。しかし、楽になっているのは確かだった。少しずつだが、少しだけだが、苦しさに苛まされず、客観的に眺められるように今はなっている。
 もうすぐ何とかなるさ、と自分を慰められる。
 苦しい気分は、時間が解決したのだろうか。
 本当はそうかもしれないけど、山で景色を見て解決した、ということにしておきたかった。そうでもしないと、今、走馬燈のように回想している景色が、鼻から耳へ、ただ抜けていっただけみたいで、もったいない気がしたのだ。
 それほど景色は素晴らしかった。ずっと素晴らしかった。ガスったり、マンネリ化を感じたこともあったけど、良い思い出だけフィルタリングを抜けて、走馬燈にはめ込まれている。まったくうまくできている。
 今夜は、その景色にどっぷり12日間、漬かっていることのできた幸せな自分を賞賛しながら、打ち上げができる。
 打ち上げ、そう打ち上げだ。打ち上げだ。ビールだ。生野菜が食べられる。肉もあるだけ食べられる! 食べた後も、何も考えずに寝転がっていい! 考えているだけで、矢も盾もたまらない。
 くるりと振り返って駆けだした。
 もう目の前に障壁はない。急登もない。気持ちの悪い笑顔をこぼしながら、ぼくは河童橋のたもとへと、人混みをかき分けて一目散。

 「なぜ君は、山に登るの?」
 そう誰かに聞かれたら、その時はこう答えようと思った。

 「山に入れば景色がある。山から下りれば、うまい料理が待っている」



【追記】  これまでに書ききれなかった情報  〜轍〜


東京から魚津までの交通機関
  1. JR寝台特急「北陸」金沢行 (上野〜魚津・15,960円)

     A1個室、B1個室、B寝台を連結した寝台特急列車。
     食堂車・車内販売が利用できない為、事前買い出しが必須である。

     上野駅では高架ホームでなく、地上ホーム(東北線)から発車する。このため山手/京浜東北線からの乗り換えには5分以上かかるので注意。しのばず口から入ると近い。

     朝方は、停車駅を案内する車内放送が流れない。ただし車掌さんが逐次起こしに来てくれる。泥酔して乗り込み二日酔いで目を覚ましたので、助かった。

     もっとも宇奈月へ行くのであれば、この列車より、富山行きの夜行バスを使う方が早い。バスは黒部駅を経由するので、料金も片道 6,770円と、半額以下で済む。
     ダイヤは、池袋駅東口 23:05発。黒部には 5:13着だ。
     予約は以下へ。
    西武バス: 03-3989-2525
    富山地方鉄道: 076-433-4890

  2. 魚津-(徒歩5分)-新魚津

     JR魚津駅の改札を出て、地下通路をしばらく歩くと着く。委託駅。
     カード・硬貨併用の公衆電話あり。


  3. 富山地方鉄道・宇奈月温泉行 (新魚津〜宇奈月・900円)

     単線なので遅い。宇奈月駅での乗り換えにも7、8分はかかる。
     宇奈月駅には水、トイレ、売店や立ち食いソバ屋がある。
     Web ベースの時刻表がないので、ダイヤの確認は時刻表か、
    富山地鉄テレホンセンター: 076-432-3456

  4. 黒部峡谷鉄道・トロッコ列車 (宇奈月〜欅平)

    1日目の詳細を参照してください。
    時刻表: http://www.kurotetu.co.jp/top4.html
     

松本から新宿までの交通機関
  1. バス・新島々行 (上高地〜新島々・2050円※1)

     1時間に1本出ている。所要時間は1時間20分。一日に1便だけ、松本駅まで直で行くのもある。
     帝国ホテル前や大正池入口でも途中乗車できることになっているが、「席に余裕があれば」という但し書きが付いている。立ち乗りはできないことになっているので、これは「8月の午後は無理」と言い換えられる。

     上高地の券売所でも、便ごとに発券枚数をカウントしている。満席になり次第、発車前でもその便の券売は打ち切られてしまう。繁忙期なら、発車の30分前には券売所に並んでおきたい。
     バスに乗り込むのは、切符を買った順(切符に記された整理番号順)なので、土産を物色するのは切符を買った後にするといい。いつも思うのだけど、下山直後、河童橋で下山連絡やら下山カレーやってる間に、サブリーあたりに切符を買いに走らせてはどうだろう。ザックダウンして河童橋で滞っていると、結局バスを乗り過ごしてしまい、待合所でまた時間を潰す、というパターンにはまることが多い。

     ザックは、全員分まとめてバス最後尾に山積みされる。乗車が始まる前に、カメラや行動食の残りなど潰れやすいものは、手に提げておくとよい。また、ずいぶん冷房が効いているので、山行中の格好(半袖)のままだと寒い。ついでに上着も出しておこう。

     普通の路線バスと大差ない車体で、椅子も堅く乗り心地は悪いはずなのに、疲労と安心感でだいたいの客は眠っている。
     釜トンネルは相変わらず不気味だった。

    時刻表:http://www.alpico.co.jp/access/route_k/kamikochi/main.html
    ※1  上高地から松本まで通しで買うと少し安く、2,500円となる。


  2. 松本電鉄・松本行 (新島々〜松本・680円※1)

     新島々バスターミナルと新島々駅は隣接している。バス到着の20分くらい後に列車が出るよう組まれている。この隙に、道を挟んで反対側にあるヤマザキショップで、久しぶりの生野菜にありついたり、たまっていた雑誌を立ち読みしたりできる。

     ワンマンカー3両編成。朝方に松本からくる便1本を除き、すべて各駅停車。車両は古いが、ペイントが一新され、例のアルピコグループ統一デザインになっていた。
    時刻表:http://www.alpico.co.jp/access/rail/kudari.html

  3. 高速バス・新宿行 (松本〜新宿・3,400円)

     松本駅東口のロータリーを渡った所に「エスパ」というスーパーがあり、その地下1階にバスターミナルがある。
    地図:http://map.yahoo.co.jp/cgi/m?no=1081952000202500000
     午前9時から午後7時までの間、毎時20分に出ている。定員制なので、ギリギリに行くと乗れないかもしれない。所要3時間半。車内にトイレと公衆電話が備わっているので、飲み過ぎても安心だ。
     夕方に東京に進入する便に乗ると、八王子から先ですごい渋滞に巻き込まれる。14時から16時くらいの間に発車する便は避けよう。

     新宿では、西口ロータリーに入る少し手前に到着する。JRに乗り継ぐのに所要15分。
     ちなみに逆方向(松本行き)は、午前7時から午後8時までの間、毎時50分発。
     予約はこちらから。
    京王電鉄: 03-5376-2222 / http://www.keio.co.jp
    松本電鉄: 0263-35-7400 / http://www.alpico.co.jp

知っていると、松本市内で助かる情報
  1. 松本市内の銭湯

     有名だった「おかめの湯」が潰れたのは言わずもがな、なので、代替案として「菊の湯」がある。詳細は次の通り。
    住所 松本市中央 3-8-30
    電話 0263-32-1452
    地図 http://map.yahoo.co.jp/cgi/m?no=1081952500202500033の、「市民会館前」の信号を渡って2軒目の建物
    もっと詳しい地図 ここの赤丸。長すぎてiモード端末には記録できないので注意。
     松本駅からかつて「おかめの湯」へ向かったのと同じ道(駅前通り=国道143号線)を15分ほど歩いていると、進行方向左手に見えてくる。右手にセブンイレブンが見えたらもうすぐ、と覚えておくと目印になる。
     ただし、水曜が定休日である。忘れて行ってしまうと、恐らくその頃には臭い的に限界に達している登山靴が惨めに思えてきて、尚更精神的ショック大。

     不幸にもあなたが水曜日に下山してしまったら、更に代替地がある。「塩井の湯」という。
    住所 松本市大手 3-6-3
    電話 0263-32-1507
    地図 http://map.yahoo.co.jp/cgi/m?no=1081952000202550033で、「安立寺」の道を挟んで右側(地図上でね)
    もっと詳しい地図 ここの赤丸。長すぎてiモード端末には記録できないので注意。
     いずれも遠すぎて面倒、という向きには、バスターミナル(エスパ)裏手の雑居ビルにサウナがある。
     ただし、男湯しかないのでコンダムだと困る上、料金は1700円とかなり高い。サウナ付き、タオル、石鹸、シャンプー、髭剃り、歯ブラシセットの値段だが、やっぱり高い。

     自分は、水曜に下山し、塩井の湯を発見できなかったため、ここに入らざるを得なかった。悔しくてサウナに計40分くらい入り浸る。ガラス越しにテレビが設置してあって、昼メロが流れていた。


  2. 着替えの送り先

     下山後の荷物を予め送っておく場所だ。
    住所 長野県松本市中央 2-7-5
    電話 0263-35-0076 / 0263-35-0077
    地図 http://map.yahoo.co.jp/cgi/m?no=1081952000202500040
     この住所に、宛名を「松本郵便局止め (自分の名前)」にして送る。料金は、通常の郵送、つまり松本氏内の住所への郵送と同じだ。局止めにあたって特別な料金はかからない。
     気を付ける事は、必ず「郵便」で送る、という点だ。つまり、総務省郵政事業庁に依頼する、という事。クロネコヤマトの「宅急便」や、日通の「ペリカン便」では駄目なのである。これは、後者が、本人の受領印(やサイン)がないと配達する事ができない、という事情による

     受け取る時は、免許証など身分を証明できるものを持って局の窓口へ行く。営業時間外は、局建物の向かって左側にある夜間受付窓口に行く。

     なお、局止めの荷物を預かってくれる期間は、原則最長で1週間である。超えると送り主、つまりこの場合は自分の下宿に送り返されてしまう。1週間を超える合宿の場合、誰かに託して、ある程度日数が経ってから送ってもらうように頼まないとヤバい。

     余談になるが、局止めは、下山後の着替えだけでなく、デポにも使える。入山前に山小屋にかつぎ上げておく従来のデポとは逆に、合宿中にデポ部隊が山を下り、郵便局まで回収に来るのである。
     この方法には、ダスターを処分できる。予定外に足りなくなったものを補充できる。などのメリットがある。以前個人Wで使った。

  3. 打ち上げ中の荷物置き場

     上人像の周辺は、鳩の糞だらけになるのでやめるべきだ。風呂に入った後など、近寄りたくもない。
     松本駅の待合室とか、コンコースにある柱の陰とか、改札口前のパン屋の軒先とか、MIDORI2階入口前とかに夜通し置いておける。ただし、駅が閉鎖される夜の1:15から4:15までの間はアクセス不能になる。

装備品・行動指針に対する考察と反省
  1. ロウソク

     東京に来て初めて知ったが、ロウソクのサイズには統一された規格が存在しない。広島で三村松などに売っている20号と、東京で売ってる20号とでは、大きさが違うのである。
     従って、20号と銘打ったロウソクであっても、すべからく白ポリの取っ手にぴったりはまるとは限らない。
     東京の20号は直径が5ミリほど細く、白ポリに立てるには、小ビニを隙間に押し込んでやらねばならなかった。もちろん燃え尽きるのも早く、5時間/本 程度。今回は2本持っていって、1本半使った。
     銘柄は、「安田松慶堂」の「松慶蝋燭」シリーズ。赤い箱入り。銀座の仏壇屋で購入。


  2. ペグ

     ペグは、パーティーで登っている時はそれほど必要性を感じないけれど、個人Wでは必須アイテムだ。テントは、6人分のザックが詰まっていれば風が吹いても飛ばないけど、ひとつしか入っていないと、結構簡単に飛ぶ。はしっこが浮き上がるなんてのはしょっちゅうだ。
     安心してトイレにも行けなくなるので、ぜひペグの携行を!
     今回は試しに、アルミ製、チタン製、プラスチック製の3種類を、それぞれ3本ずつ持っていった。
     アルミ製のペグは、地面に石が埋まっているとすぐ曲がってしまう。値段は1本480円くらいするが、チタン製は丈夫だ。岩も砕いてしまう。プラスチック製もすぐ折れるし嵩張るので、おすすめしない。
     下山した時点で、アルミ製は2本が曲がり、プラスチック製は1本が折れたが、チタン製は買った時とほとんど変わっていなかった。長持ちすることを考えると、チタン製がいいのかもしれない。


  3. ライター

     EPI の自動着火装置が壊れて以来、ライターは必須になった。
     7月に富士山に登った時、ライターは電子着火式のを持っていった。EPI と同じ着火機構のやつだ。所が、富士山頂で晩飯を炊く段になって、急に火が点かなくなってしまった。下で装点した時はちゃんと点いて、ガスは十分入っているのに、だ。手で暖めても、息を吹きかけても、振っても駄目だった。
     結局その場は、山小屋の兄ちゃんに借りて事無きを得たのだけど、今回はその点を踏まえ、古来からの石でつけるやつも併せて持って行った。
     そしたら、石の方は、点かなくなることは一度もなかった。朝方は気化熱が足りないからさすがに弱々しいけど、点火するのに支障はなかった。
     これに対し電子着火式は、毎回点かなくなった。朝方、最初の一撃だけはなぜか点いてくれるのだけど、2撃目からは死んだように黙ってしまう。その日の夜まで点かなくなる。その日の夜も、一度だけは点く。二度目からは点かない。
     この理由はまだよく分からない(調査中)。しかし、以上のような体験があるのは確かなので、ライターは、石で点けるやつを持っていった方がよさそうだ。
     なお、富士山に持っていったライターと、今回持って行ったライターは、それぞれ別のメーカーのものである。値段は同じ100円だけど…




  4.  Lowa の Trekker を使っている。
     下山後、靴底を張り替えてもらうことにした。溝がほとんどなくなっていたのだ。
     この費用に、16,000円もかかってしまった。相場は、6,000〜8,000円である。
     修理を頼んだコージツ新宿店の店員さんに、理由を説明してもらった。いわく、Trekker は、底が本体と一体化した構造なので、その靴の構造を熟知した工場、つまり Lowa の直営工場でないとうまく張り替えられないそうなのである。スニーカーの底を張り替えるようなものらしい。
     これに対し、ドタ靴のような構造だと、コージツの工場で張り替えられる。これが費用に跳ね返ってくるらしい。
     また、修理にかかる期間も、通常2週間で済む所が、Lowa の場合1ヶ月近く要する。直営工場まで送ったりするのに手間がかかるから、だそうだ。
     高いし時間もかかるのは癪だったが、Trekker の履き心地はすごく良く、更に、使い続けるうちに足の形になじんできて、ますます手放せなくなっている。他の靴に乗り換えるのはあまり気が進まない。というわけで張り替えをお願いした。料金は前払いだった。10月の連休は、スニーカーで行けるローWに切り替えることにする。
     以上から、底と一体型の靴の場合、
     ・軽い。
     ・種類が豊富。特に女性用のラインナップ。ゴアテックスなど新素材を織り込んだモデル、など。

    なのだけど、
     ・修理に時間がかかる
     ・修理に金がかかる
     という欠点もある。靴を選ぶ際のご参考に…
     
     ちなみに Trekker を買ったのは2年前のゴールデンウィークである。以来、石鎚3泊4日、大山1泊2日、北アルプス計40泊44日、あと広島と関東の山をちょくちょく登ったが、思いのほか減るのは早かった。性能を維持するには、シーズン2回につき1回は張り替える必要がありそうだ。


  5. ウェストポーチ

     持っていかなかった。これまでウェストポーチには、トッペ、懐電、レスキューシート、行動食、非常食、メタ、ライター、メモ帳、筆記用具、財布、携帯電話、家の鍵など色々入れていたが、メモ帳は地図ケースに移し、他は全部アタックのヘッドに入れた。
     腰から大きな荷物が消えた分、ずいぶん体が軽快に動くようになった。これは正解。


  6. 天気図用紙

     こっちに来るまで知らなかったのだけど、縮小&高層天気図と両面印刷された小型の天気図用紙が発売されている。A5サイズで、50枚入り680円だ。
     表示範囲は少々狭い。具体的には、バスコ、ラワーグ、マニラが書き込めない。西経はお手上げ。しかし不便とは感じなかった。


  7. 防寒対策

     軽量化のためセーターを持っていかなかったので、標高3000メートル付近で幕営する時は、寒さを凌ぐために何かしないといけなかった。
     パンツと靴下は履いているとして、まずラクダを上下に着る。その上にジャージとTシャツを羽織り、ゴアガッパを上下とも着る。ファスナーは全部締めて、フードもかぶる。そして、シュラフに頭から潜り、シュラフカバーも被る。
     次に、あらかじめ中身を全部出しておいたアタックに下半身を突っ込む。足の先端だけアタックからはみ出るので、ここにサブザックを被せる。これで完了だ。
     "フードを被る"、"シュラフも頭まで被せる"というのは重要だ。夜、横になってじっとしていると、冷気が顔から入り込んできて全身を筋状に巡るのがよく分かるよ。
     アタックに入ると相当暖かい、というのは初めて実感できた。自分の持っているアタック(Lowe Alpine "Alpamayo/100")は、ザックの底が完全に開く構造になっているので、ここに腰までつっこめるのだ(ただし骨盤の幅ぎりぎり)。すると、アタックの腰のパッドがいい緩衝材/保温材となり、とっても快適に寝付ける。
     足先も冷えるので、サブザックで覆ったのは正解だった。
     しかし、寝返りが打てないのが唯一の欠点だ。
     寝る時はこれでいいとして、「テント撤収時に備えて手袋」「ビバークするつもりならセーター」も必要だった。9月が、これほど寒いと想定できなかったのは反省点である。

山の公衆電話

 入山前に携帯を落としたせいで、今回は随分と、山小屋の公衆電話にお世話になった。
 その公衆電話が変わりつつある。「衛星電話への置換」である。
 これまで山小屋の公衆電話は、街中にあるのと同じ、緑色で寸胴の筐体が多かった。地上波を使って音声を基地局に送り、通話する方式である。
 この方式は、電波中継所(アンテナ)の敷設やメンテナンスに膨大な費用がかかるという欠点がある。人里離れた山奥から電波を中継するためにはただでさえ多くの基地局を設置する必要があり、なおさらNTTにとって負担となっていた。
 というわけでNTT東西会社は、今年度をもって、山岳地帯への公衆電話の提供を廃止することにしてしまった(NTT側の公式な声明文は入手していないが、穂高岳山荘にそう張り紙がしてあった)。
 今後、山小屋のような僻地に対しては、NTT DoCoMo から公衆電話サービスが提供される。これは、通信衛星を利用した通話である。声が届くのに少々時間がかかるという欠点はあるが、衛星1台で、広範囲の公衆電話をいっぺんにカバーできる。このため、山小屋1軒ごとに基地局を建てる必要が無い。
 筐体には、新幹線や長距離バスの車内に設置されている電話機と同じやつが使用される。緑の箱型の、カード専用の電話機である。
 今年度限りで NTT のサービスは廃止されてしまうのだから、現在公衆電話を持っている山小屋、および今後設置する山小屋は、すべからくこの DoCoMo の電話機に置き換え、または新設しなければならない。
 ということは、だ。「小銭を持って行く必要がなくなる!」のである。なにしろ新しい電話機には、硬貨を入れる所すら無いのだから…。団装から小銭が消える。
 代わりに、テレホンカードが多く必要になるだろう。
 山小屋にはたいていテレホンカードを売っているから、現地で買えば、確かに事は足りる。しかし、山小屋のカードは高い。50度数のカードなら、間違いなく1000円する。土産物として買うならまだしも、かけるためだけに払うのは無駄でしかない。
 また、この DoCoMo のサービスは、一般の電話と違い、通話料金が全国どこへかけても一律、1分間100円(=10度数)と決まっている。
 よって、現地購入で電話をかける場合、正味、1分間で200円、3秒で10円が課金される訳だ。Q2顔負けである。
 というわけで入山前には、金券ショップで105度数のカードを買いあさっておくと良い。
 携帯電話の普及で、公衆電話の設置台数は減少の一途を辿っている )。同時に、利用価値の少なくなったテレホンカードの価格も、徐々に下がっている(金券ショップ「ヒスイ」店員の談話)。今なら高くても、105度数で930円くらいだ。これなら1分あたり、約89円でかけられる。
 カードは部会計で一括購入して、長期山行するパーティーに切り売りする形にしてはどうだろう。昔のホワイトガソリンや、今のアルファ米のように…


さらに電話の話題

 ずいぶん山で携帯が入るようになった。山間部の集落に向けて山の近くにも基地局が設置されたり、室堂のように、観光地専用に基地局が設けられたりするようになったお陰だろう。
 しかし、短波長の電波(800MHz帯)を使用している関係上、ちょっと山影に入っただけで回折波が届かなくなり、通話が切れてしまう。都心部なら、ビルなどに遮られても、別の基地局を受信できるから凌げるのだけれど、山は基地局が少ない。その上、もともと携帯の電波は、ビルの上など見通しの良い位置から「下向き」に発射されているので、尚さら不利だ。
 「イリジウム」(世界中で衛星携帯電話を提供していた会社)がつぶれちゃったので、しばらくはまだ安価に衛星携帯を使用できる環境は整いそうにない。ポケベルが業績不振で潰れた時は、DoCoMo がサービスを吸収して継続してくれたのだから、イリジウムもどこかが買収してくれれば良かったのに…
 山でいつでも携帯が使えると、色々便利で楽しくなるだろう。
 今はまだ、通話と、メールと Web に毛の生えた程度だけど、汎用的なデータ通信のインフラとして整備されてゆけば、


 また、W-CDMA などに対応した携帯の場合、自分の位置をセンチメートル単位で測定できるため、
実現に携われるなら、作ってみたい。

 ネットで、次の記事を見つけた。医療交通リストも、そのうちこのような電子媒体に変わる日が来るだろうな、と思わせてくれる。以下引用。
iモードで交通・山岳情報
----------------------------
 県警は十月一日から、NTTドコモのiモードで、道路交通情報や山岳情報、相談窓口一覧などの情報提供をスタートさせる。都道府県警によるiモードの情報サービスは、全国で八番目となる。
 県警総務課、情報管理課によると、トップメニューは六項目。山岳情報は、富士山、南アルプス、八ケ岳、秩父山系、三ツ峠の五つの山域別に、管轄の警察署や、町村役場、最寄りの病院の電話番号を紹介、すぐに電話ができる仕組みとなっている。
 県内をはじめ首都圏、首都高速の道路交通情報や、運転免許に関するテレホン案内、性暴力や薬物一一○番などの相談窓口一覧も見ることができる。警察署所在地一覧では、選択マークをクリックするだけで署に電話がつながる。
 交通事故統計や交通取り締まりなどの情報は毎日更新する。情報料は無料。
 県警は一九九七年三月にインターネットのホームページを開設、現在月平均で約一万六千件のアクセスがあるという。
 (ホームページのアドレスは、http://www.pref.yamanashi.jp/police/i/ )


 最後まで目を通していただき、感謝致します。
 打ち切りになることもなく、最終回をお届けすることができました。
 書きたいことは山ほどあるのに、語彙力の貧弱さから、長く書いていると同じような言い回しの繰り返しになってしまい、苦しむことしばし、でした。
 過去に書いたネタを使い廻したり、近くにあった小説から慣用句を盗用してきたりして、1話書き終わる度に息も絶え絶えになってました。
 使いやすい記録に仕上がっているかは分かりませんが、今後合宿を出される方の負担軽減や、安全に合宿を終える上での轍(わだち)になれば幸いです。
 今後も、使いやすい、ためになる、読んでいて面白い記録を目指し、森羅万象のデッサン力向上に励みたいと思いますので、お気づきの点があれば、遠慮なく御指南くださいませ。
 ダウンロードに時間のかかる文章におつきあい頂き、ありがとうございました。【終】
初出…2000年9月〜11月(於・広大ワンゲルメーリングリスト)。 2001年 8月、ホームページ掲載用に修正・加筆

※ご意見・ご感想をお待ちしております! → web@kasai.fm