[2001 上高地〜岳沢〜奥穂高〜槍ヶ岳〜双六池〜新穂高温泉]




↑戻る

2001年 9月22日(土)





 新宿23:20発の臨時「急行アルプス」を、まだ夜覚めやらぬうちに松本で降りる。
 松本電鉄とバスを、うたた寝によだれを垂らしながら数時間乗る。

 わずかに空を射始めた陽の光に原野の湿気が励起される時分、大小原色色とりどりのザックを背負い、
 多量の登山者が次々ターミナルに吐き出された。登山口はみるみるうちに、うごめく人の頭でごった返す。

 早朝の伊勢神宮に初詣でた時のような雰囲気である。
 帯状の移動性高気圧がゆっくり本州を縦断し、ここ数日は豪勢な快晴が予想される。連休初日の上高地。人多すぎるよ。



 梓川沿いの渓谷は、早朝はもやに包まれていた。
 しかし標高を稼ぐに従って、光源の輪郭が速やかに明確になっていった。
 写真は標高2000メートル付近。岳沢ヒュッテの少し手前である。







岳沢ヒュッテを発ってから小一時間で、雲海の上に出ることができた。
雲を抜けたという事が、登山者の視点からでも分かりやすい空の構造だった。つまり、さざ波のたっていない
境界がはっきりした雲塊だったって事。こういうのを抜ける瞬間はすこぶる楽しい。血が騒ぎ駆けだしてしまう。








一秒ごとに景色がきれいになっていくので、フィルムが早く減ってしょうがない。
もう少し待てばもっと凄いのが撮れるのは比較的確実なのだけれど、「フィルムは無限。景色は有限」である。
たとえどんな光景であっても、CGと違い再現性は限りなく低いのだから、山ヤたるもの、決して撮る事観る事を中断してはならない。

雲海に、ブロッケンと虹の中間のようなアーチが架かった。








 奥穂高への登りの途中、吊尾根から紀美子平を振り返る。
 大入道のような北尾根が雲を割って入り、その白黒のコントラストは、逆光であったため、眩しすぎて尚さら強烈に感じられた。








これは奥穂高岳の頂上にある「やまなみの案内図」。
円筒形で、上部に、周囲に見える山が何であるか説明したレリーフがはめ込まれている。
しかしこれは既に摩耗が激しく、よく読みとれない。結局のところ、稜線を一瞥しただけで山名がスラスラでてくる
博識なおっさんが、周囲の女性登山者から尊敬と賛辞を受ける事となる。

「知識は人生のスパイスである」とよく言ったものだが、北アルプスにおいて山の知識は、
体に刺激を呼び込んでくれる、まさに恰好のダシと言えるであろう。








奥穂高岳から涸沢岳へと抜ける。ここから登山道は、涸沢槍を巻きつ登りつ立体的に蛇行する。難路である。
ここ通るのは3度目で、こちら側から進入するのは今回初めてだった。涸沢岳すぐの下りがなかなかスリリング。
登りの場合は夢中で登っていればすぐ終わっちゃうけど、下りでは、スタンスの発見がちょっと困難な段差が多く緊張する。
所要時間もこっちの方が多い。

でもたまに、異彩を放つ植物が岩の窪みに咲いていて、写真は撮らずにいられない。








この日は北穂高岳山荘のキャンプ場に幕営。ここは小屋まで片道徒歩7分かかり、トイレへの往復がとっても重労働だった。
故にただ放尿に行くだけでは勿体なく、誰もが写真とったり、小屋の売店で買い食いしたり、携帯でメール送ったりついでにやってしまう。

ラジオで気象通報を聞いた後ひとねむりし、目が覚めたら夕焼けの時間帯だったのでピークに行ってみた。夕焼け鑑賞会が執り行われていた。
ピークにできた小さな水溜まりでは、ヒヨドリ(?)が水浴びしながら、列席の登山者と同じ方角を、遠い目で見てた。

北アルプスで夕焼けが拝めたのは久しぶり。
この太陽を見て、i-mode のロゴマークが思い浮かんだ。








2001年 9月23日(日)





翌日は大キレットの下降から始まった。
ここも、南側かの進入は初めてである。過去4度、北側から抜けた事はあったが、何故かやっぱり、南からの方が難しい。
「飛騨泣きのザレ」を、ひとかけらも落石発生させず通りすぎるには、神業的な足の運び(ゴッドフット)が必要だろう。

穂高の紅葉は「満開まであと一息」、といった所だったが、朝方は常緑樹、落葉樹のけじめなく、唐紅に姿を変える。
稜線の地価が上がったように感じられる。








 大キレットは、「A沢のコル」という鞍部で、北穂高側、南岳側に分かれている。
 これは、コルを過ぎてすぐの所にある「長谷川ピーク」と呼ばれる岩峰の取り付き。北穂高・南岳頂上から下る岩壁は直登降が動作の中心となるが、ここは横方向移動、いわゆる「へつり」で抜ける場所だ。高度感抜群で、暑さも気にならない。

 ここのところ大キレットを歩く人の数は増加の一途を辿っており、多客期はここらへんで激しい渋滞が起きる。鎖場の順番待ちである。このような時期はだいたい、槍岳山荘のテン場などもすぐ満員になってしまうので、渋滞に時間を食われると、テン場も先客に奪われ失う羽目になる。

 あぶれた客は、殺生ヒュッテなどへの分泊を強要されるので、是非早発ちしてください。







キレットの最下部から南岳を俯瞰した図。写真中で一番高く見える突起は「獅子鼻」と呼ばれ、ここの基部がキレットの終点である。
最後の急な登りで、この岩峰がずっと見えているので、残り距離を知るだいたいの目安として使えるだろう。








南岳では、登頂5度目にして初めて、視界があった。これまでは全部、ガスの中で何も見えなかったのである。
ここから見える槍ヶ岳は、思いの外かっこよくて好きになった。

槍の右曲がりなそびえ方も好きだけど、歪みがなく一本調子な中岳(一番左)のたたずまいも捨てがたい。見事な瓦礫ピラミッドで、はたから見ると芸術的です。








中岳・槍の肩への登り二発でかなり体力を消耗した。腹が減りすぎるのである。
小屋でおやつを買って食べる事だけを励みに、直射日光の下を登る。

槍の肩にある槍岳山荘は改修工事中で、毎年テン場の受付とかがあった棟が完全に取り壊されていた。
正面から見て右隣にある食堂棟が、臨時の受付として機能している。おやつもここで。

んで、この建物の脇には、槍に登りに行ってる人達の物とおぼしきザックが、うす高く積み上げられていた。
自分も登りに行ったら、果たして登山道は行列だった。歩いている時間より待っている時間の方が長い、なんて
生易しいものでなく、殆ど待ち時間であり、これは舞浜のクソネズミ園に匹敵する。山でこんな目に遭うとは思わなかった。

結局往復に3時間を要し、西鎌尾根をのんびり行く時間があまり残らなくなってしまった。








西鎌尾根は、地図上ではそれほどアップダウンがあるようには見えないが、実際は結構立体的に動かねばならない稜線である。
「この坂を上れば小屋が見える」と、中学校の教科書のように念じつつ越えた丘は、またもフェイク。その先には大きな下り坂と、
再び登りを余儀なくされる巨大なピョコが視界に入る。

理不尽極まりないと思いつつ、まあ許してやるか、と心の中で呟いて、一つまた一つ、丘を越える。
常に自己完結だけで怒りを静めていかないと、このような上り下りの多い稜線では、胃に穴が空いてしまう。ご注意。








西鎌尾根には、左俣岳、樅沢岳という二つのピークがある。
樅沢岳は、双六池のほんの少し手前(双六池まで20分)の所にあり、山奥の割に携帯が使える。日の出日の入りのどちらも、対岸の山、
つまり槍穂高や双六岳をシルエット化して写せるため、メチャクチャ早朝や、普通もう誰も歩かない時間(夕方4時過ぎとか)でも、
結構賑わっている。これはカメラマンの場所取りの為である。

もう一方の左俣岳は、登山道がピークの少し南を巻いているので、登る必要はない。
ただ、頂上の少し手前まで細い道が延びており、少し手前までだったら行く事もできる。ここより先の、真の頂上までも、
更に細い道が延びていたので、行って行けない事はないだろう。けどこの細さから言って、絶対キジ道だと思ったから、止めた。

テン場は双六池キャンプ場。






2001年 9月24日(月)





朝3:30位に起きて準備を始めると、空が明るくなり始めるちょっと前に、丁度撤収が終わる。
今日は新穂高温泉に下るだけの短い行程なので、別にこんな早起きする必要は無かったけれど、ここまでの快晴と
日の出の組み合わせは、全部見ないとバチが当たるだろうから、観るために起きた。ホント鳥肌が立つ美しさなのだよ。

果たしてこの日の双六上空では、期待通りのグラデーションが奏でられた。
グランブルーのラストシーンのような色→澄み切ったぐんじょう色→マリンブルー→肌色くさいオレンジ→まぶしい朱色、と変化する空。
これを観ただけで、人の快感を欲する本能は、何%かが確実に満たされる。

今回は三脚を持っていかなかったので、残念ながら写真はナシです(小生のレンズでは素手で撮れない)。
これは完全に陽が登り切ってから、出発する前撮ったもの。皆さんもこのスペクタクルショーに満足した模様で、笑ってはりました。








朝2時頃に一寸目を覚ました時、何だか歯ぎしりのような音が、テントの外で断続的に鳴り響いていた。
これは、霜柱の成長する音だった。

昔、具体的には小学校低学年の頃は、自分の地元でもよく現れたものだが、温暖化の影響で近年とんと見掛けなくなっていた。
故にこれを見るなり私が童心に返るのもムリはなく、滅茶苦茶に踏み荒らして感触を楽しみたくなったが、もう24歳なので止める。








日陰では、生命力に長けたやつが昼過ぎまで残っている事もあるが、ほとんどはまもなく消滅する。上の方から鎧が剥がれ、
次第と、すき焼きに入ったエノキ状態に。

冬山で見掛ける「海老のシッポ」と違い、食べられないのが残念だ。








日中の快晴と、霜柱が生える程の放射冷却。このメリハリの聞いた日較差が、紅葉をより見事な色に成長させるのだ、と、
横を歩いていたおっちゃんがおっしゃっていた。

そう言われてみると、たった2日しか経っていない筈なのに、入山した時より山は燃えているように見えてくる。
笠ヶ岳へ向かう稜線と小池新道の分岐点にある、弓折岳というピークである。








小池新道は、左俣谷に出合う地点で唐突に登山道でなくなり、治山工事用のトラックが行き交う(休日の割にたくさん来る)
車道になってしまった。

横尾から上高地に向かう林道も長いが、こちらはそれに加えて周りの風景が地味な為、最後はけっこう広島の山みたいな
終わり方になってしまう。歩いていてダレてくるのだよ。

10tトラックが入れる位なので乗用車も楽勝で入れるし、実際停めてある車もたくさん見掛けたが、車のワイパーにことごとく、
「業務外の車は進入禁止です! 直ちに移動してください」という警告文が挟み込まれていた。
無視したらどうなるのか知らない。

でも、この長距離歩きと引き替えであれば、路駐するのはさすがに無謀としても、トラックにヒッチハイクを試みるのは悪い投資ではない。






〜完〜



↑戻る

©2001 Takafumi KASAI   /   ※ご意見・ご感想をお待ちしております! → web@kasai.fm