冬の富士山に行った。
行政からは一応「通行不能」のサインが出ているが、憲法との兼ね合いで、法的強制力をもって禁止できないのは、イラクやなんかと同じである。
富士吉田口には、行く手を阻む看板も立っている。しかし、草むらの目立たない位置に放り投げてあった。避難勧告を鼻で笑い飛ばすような輩の仕業か。
観光地に警報や避難勧告を出すことは、一般ピープルを遠ざける効果はあるが、逆に、猿岩石タイプの連中の呼び水になってしまう。
この看板の100mくらい先に、「超安全です! ウェルカム!!」と書いた看板とか置いておけば、フールプルーフになるのではないだろうか。
富士山は、夏と冬の難易度がもっとも違う場所のひとつである。
夏しか登ったことがなければ、豹変ぶりに驚くだろう。雪に覆われた白銀の円錐は、近くで見るとまるで鏡張り。メタリックに輝いている。
山頂では、気温は氷点下30℃まで下がり、風速30メートル近い風が吹いている。即死は簡単だ。
体がふわりと浮くような風もときどき吹くので、風を感じて1秒以内に対風姿勢をとれるよう、反復練習しておくべきである。
写真を撮れる機会も少ない。構えてるときに風が来たら死んでしまう。靴にレンズ仕込んで、足の指で操作できるようなカメラがあれば、持って行くといいだろう。
人は、めっきり少ない。
この日は、晩から未明にかけて、大型低気圧の来襲が予報されていたので、その効果もあってか、すれ違ったパーティーは10以下だった。
雪上訓練も、場所に困らずガンガンやれる。
夜は、8合目の蓬莱館前に幕営した。ピッケルだけで簡単に整地でき、良い感じ。
しかし、日曜日の未明から、激しい風雨(雪でなく)がテントをもみくちゃにし始め、船酔いの症状が現れる始末であった。そして、今年4月に買いなおしたばかりのテントポールは、再び、西武新宿線の新井薬師前みたいに曲がってしまった。
フライも見事に破れる。
朝起きると、テントの中はプールみたいに浸水し、シュラフは水を吸って5kg増し。ザック全体では8kg増しの錬成を強いられた。半泣きトレッキング。
下界は、小春日和。というか東京は夏日だったらしい。
相模湾がひろびろ眼下に見渡せた。「あそこに骨まで暖まれる箱根の温泉が沸いてるんやなぁ」と、風と寒さにチワワのように震えながら下山を急ぐ。
とはいうものの、ここだって景色は一級なのだから、気後れする必要はない。
雲は、コーヒーに流したクリープより素早く、空にかきまわされていく。ええ景色やなー、と、うすら笑いも浮かぶ。いい気なものであった。
下山時、
- 日曜なのに、下から誰も上がってこない。
- 佐藤小屋~吉田口間の登山道が一ヵ所、山腹からの土砂で切り崩されていた。
- 吉田口には人っ子一人おらず、土産物屋はすべてシャッターが閉まっていた。
- スバルラインに、車がまったく走っていなかった。
など不可解な点は多かったが、無傷で下山もでき、笑顔で駐車場に帰還。車をスタートさせる。
五合目から1kmほど走ると、いきなり道が、こんなになっていた。
鳩が豆鉄砲で射殺された表情で110番に通報。ほどなく富士吉田口の道路管理事務所に連絡が行き、1時間半後、無事救出される。
土砂は、スバルラインを延べ500mに渡り埋めていた。対岸に、迎えの車が待っている。まだ柔らかい土砂の上を、紙袋片手にとぼとぼ歩く。夕焼けがせつない。
富士山側に取り残されたレンタカーは、後日、回収しに行くハメになったが、「自然災害ですし、延滞料金は結構ですよー」と言って頂いたニッポンレンタカー登戸店の太っ腹さに乾杯。
早く個人用ヘリコプターが実用化されないかなと、祈らずにはいられない。