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赤道直下キリマンジャロ。
鉛直方向の気候差が著しく、まるで所属する大陸が、標高300mごとに異なるかのような植生を観察できる。熱帯雨林から雪景色まで選り取りみどり。
一番アフリカっぽいのは、3500m 付近の高山植物帯だろう。見慣れない幹と枝葉のジャングル。川口浩の気分で登ってゆける。底なし沼や毒蛇は出ないので安心。
ステラ・ポイント(地球の峠)と呼ばれる地点まで上がってきた。標高 5745m。
ここから山頂までの間には、三十分程度の、なだらかな尾根歩きが待ちかまえるのみである。しかし、傾斜がゆるくなったと油断してラストスパートをかける登山者が後を絶たず、結果、酸素不足→地獄の尾根と化すケースが多い。
ここは我慢のしどころ。底なし沼なみに危険なポイントと心得て、慎重にゴールを目指したい。
(撮影: Arusha Expedition ガイド氏)
嘉門達夫は、川口浩の冒険を、「来る時にあれほど苦しめられた底なし沼の類が、帰路ではきれいさっぱり消えて無くなっている」 と指摘している。
でも山やっていると、帰路(下り)が、登りと較べいかに快適か判るだろう。位置エネルギーのおかげで力を入れなくても体が動き、どんどん濃くなる酸素。暖かくなる気温。今夜はビールが飲めるという誘惑。
登りで苦しんだ断崖とか、滑る坂とか、あらゆる障害を忘れる気持ち良さだ。
所属していたワンゲル部では、この下山途中のイケイケ感を、「下山パワー」と呼んでいた。これがあれば、沼の一つや二つ朝飯前だし、来たときほど印象に残らなかったとしても納得がいく。
川口浩の訪問先も、実はジャングルの形をした山だったに違いない。
キリマンジャロ登山には、タンザニア政府所定の旅行代理店が斡旋するガイドと、ポーターの同行が義務づけられている。
荷物は、こうして彼らが運んでくれる。ひとり15kgが上限だが、雇う人数を増やせば、倍々でペイロードも増える。
一度、クライアント四人に対しポーター六十人のグループとすれ違ったが、携帯用気圧維持装置とかも運んでいて、まるでこれからイラクを爆撃に行くんですみたいな雰囲気だった。
高度障害の頭痛くらい我慢するから、もうちょっとクラシックに行きたい。
キャンプ場でおやつを食べていると、獰猛な鳥の群に包囲される。躊躇なく襲ってくる。
高度障害で弱った体では、追い払うこともできない。
外で、雄大な山景色を見ながらのランチは魅惑的だが、それに固執するあまり、目玉をえぐり出されることになっては大変なので、とっとと逃げよう。
野鳥のせいで迂闊にテイクアウトできない点は、マクドナルド江ノ島駅前店とよく似ている。
とはいえ、ひきこもり生活も悪くない。
ポーターさんが沸かしてくれる甘いキリマンジャロ(コーヒー)を飲みながら、夕日に染まるキリマンジャロを、シュラフに寝そべって見るのだ。
こんな感じでクリスマスイブは更けていったのでした。
葉の先端に、赤くワンポイント入っているのが特徴。
登山者の立ちションに汚染されるに従い、赤+黄で、やがて緑一色になってしまう。
キリマンジャロの山頂アタックは、午前0時にキャンプサイト発、6時間後に山頂着、くらいのテンポで進められる。
従って、日が昇りきった帰路の方が、展望を楽しめる。タンザニアの地平線を心ゆくまで眺めよう。
正午を過ぎると、夕立と落雷が多発するので、時計を見るのも忘れず。
キリマンジャロ山頂。朝六時、濃霧の鉛空がパッと明るくなって、ピンクに染まった。
五日間の登山の苦労が報われる瞬間。 報われたんだという感覚が、五秒くらいかけてじわじわ押し寄せてきて、胸がいっぱいになって、涙が出る。
涙腺の感覚を忘れないでいられる趣味・登山。今後も妨害にめげず続けたいと思います。
朝焼けの次は、満月が華をそえる。
景色の変化は目まぐるしく、「これを写真に撮れなかったら一生後悔するだろう」というレベルの絶景が、五秒ごとに現れる。
いつまでたってもカメラの電源を切れない。
シャッターを押す指先は、みるみる冷たくなり、まるで体の一部でなくなったかのような、氷の塊を手首にぶら下げているような感覚に襲われる。
たまに指を口や股間に突っ込んで暖めないと切断手術を受ける羽目になる訳だが、その最中にも、美味そうな景色が走馬燈のように流れていく。
回転寿司と違い、一度流れ去った景色が戻ってくることは無いので、文字通り指をくわえて待つ状態。
「日本のネットで『ブーン』って流行ってるんだろ? ポーズ取るからさ、ちょっと撮ってよ」
と言われて撮った一枚。よく知らなくて申し訳ない。
下山後、キリマンジャロの玄関口・アルーシャ (Arusha) に宿を取る。
タンザニアの東部沿岸地域ほどではないが、この町も依然、マラリア蚊のいる可能性が「ゼロではない地域」と、WHO に指定されている。蚊帳は生活必需品だ。泊まった宿で、万一品切れだったり、穴が開いていたりしたら、クレーム入れまくって交換してもらわないと命に関わる。
念には念を入れ、日本から取り寄せた金鳥の蚊取り線香を部屋に充満させる。
香りを嗅いでいるうちに日本を思い出し、お寿司が食べたくなってくるという副作用があって、その晩は、鳥貝の握りを腹いっぱい食べる夢を見た。
マラリア蚊は、主に夕方と明け方に現れる。
アフリカの都市部は、日暮れと共に急激に治安が悪化することも相まって、いくら夕陽がキレイでも、外に出るには勇気が要る。
熱帯性マラリアで四日後に死ぬか、石強盗に襲われて五分後に死ぬかのどちらかである。
どっちも気が進まないので、蚊帳にひきこもり、ひたすら DS でポケモンをやり続けた。
趣味がアウトドアであっても、インドアな趣味を封印すべきではない。
ひきこもりライフを満喫できないと、きっとアルーシャで苦労する。
アトラス山脈最高峰・ツブカル (Jbel Toubkal) 。モロッコ最高峰でもある。
三月下旬は、まだアイゼン・ピッケルが必要だが、スキー場の初心者コースで雪上訓練するくらいの難易度で、富士山より高い場所に立てる。
雪上の地図読み難易度は、広島の武田山からチョコレート坂に辿りつく方がたぶん難しい。 (晴れている場合)
麓でガイドも雇えるが、アイピケやれるワンゲル人間だったらソロで平気と思います。
山スキー適地でもある。
人件費が安く、麓からスキー板を担ぎ上げる歩荷 (ぼっか) を雇ってもそれほど大きな出費にはならないので、ヨーロッパ各地からのスキー愛好家で常に賑わっている。
山頂手前の鞍部から、ツブカル小屋 (Refuge Toubkal; 3200m) まで降りてこられる。真冬のもっと雪の多い時期なら、更に下の Sidi Chamharouch (2300m) 付近まで大丈夫らしい。
ゲレンデの露岩は少ないし、機動力の観点からも、アイゼン・ピッケルよりずっと安全なソリューションかもしれない。
マラケシュ空港 (Marrākish) 起点で二泊三日で山頂往復可。キリマンジャロと違い、ガイドの同行が義務付けられていないうえ、物価の安さもあいまって、
のコミコミで、1000MAD (ディルハム; 1万3000円くらい) 。
成田からでも、オフシーズンのドバイ経由にすれば、原油価格が1バレル200ドルとか越えない限り、6日&13~4万で充分な山域でしょう。
サハラ砂漠とセットで廻ると、雪山との気候のギャップで一層楽しめる。アラビア語かフランス語が使えると幸せかもしれません。(英語はほとんど通じない)
この日は、起床は遅かったが、他の登山グループをごぼう抜きに抜き、山頂は華麗に1getする。
普通だったら写真を撮るのに行列待ちを免れない頂上モニュメントも、贅沢に独り占め。セルフタイマーを駆使し、とてもここに掲載できないような写真をいろいろ撮影してみる。
下半身を露出する以外の事をすべてやったら、山が体の一部になったような錯覚に陥った。
太陽が登らないうちに下山しよう。
雪面反射のせいで、アフリカの凶悪な日射しが、殺傷能力倍増で襲ってくる。
三月の雪山は湿度も高いので、もう死ぬほど蒸し暑い。服を全部脱ぎたくなるくらい暑い。
たぶん小島よしおですら、何のためらいもなく海パンを脱ぎ捨てるだろう。
アトラス山脈の初春。生き物は一斉に目を覚ます。
雛鳥は、残雪の隙間から、銀世界に隠れたお宝(たぶんミミズ)探しに余念がない。
麓の村では、若鶏が日向ぼっこを始める。
しかし同時に、天敵の猫(村で大量に飼われている)がコタツから這い出してくる時期でもあるので、寝ている間も油断できない。昔の武士みたいなものである。
やがて立派な親となり、そこらのネコには一歩も退かない風体格を身につける。
端で観戦していても、ヤムチャよりは高確率で敵に勝利しているように見える。
でも、せっかく親として脂の乗る時期に、人間側の都合であっさり潰されてしまう。
猫だけ天寿を保証されるのは差別だ、という彼らの呪詛が聞こえてくるようだ。いただきます。
アフリカの桜の下で食べる新鮮なフライドチキンの味は、筆舌に尽くしがたい。
日本と違って、ハツやレバーの部分はあんまり市場に出回らないので、肉屋で直接譲ってもらって、適当な食堂に持ち込み調理してもらおう。ご馳走様でした。
モーセの十戒で有名な、エジプト・シナイ山。
登山の難易度は、富士山の吉田口から八合目まで登る程度。しかし、日中は気温が50℃近くまで上昇するので、日本にはこれといった比較対象のない難易度になる。
500m おきに現れる売店で、ぬかりなく水分補給しよう。ハトシェプスト女王神殿よりは売価も安い。
ラクダに揺られて登ることもできる。客待ちラクダは、随所で蟻の行列のごとく待機している。
しかし、その日の天気やラクダ商人の気分によって、値段は大きく変わる。多額のチップを払わないと降ろしてもらえなかったという話もよく聞く。振り込め詐欺の一種と思って対応したい。
振り込むのは嫌なので徒歩で登る。道幅の狭い所も多く、ラクダとは常にニアミス状態だ。
鼻が曲がりそうなくらい臭い。そして、至近距離を歩く体高 2m の動物に、本能的な恐怖を禁じ得ない。これまで登ったどんな危ない山とも違う怖さだ。さらに登山道はうんこだらけである。
金を落とさない登山者への扱いは、実にシビア。
ペットは飼い主に似るというが、逆に、飼い主がペットに似てくる場合もあると思う。でないと、エジプト人の眼が煌々と輝いている理由が説明できない。
もっとも、
も、仮説に唱えることができるかもしれない。
月の砂漠をはるばると旅のラクダが往く、という童謡がある。
この歌のプロデュースに関わったすべての人間は、絶対、シナイ山に登ったことが無いのだろう。こんな銭ゲバの巣窟を、人畜無害な歌詞で称え、美しいメロディーで修飾する気にはなれない。
月の光というと月光仮面を思い出すが、「憎むな、殺すな、赦 (ゆる) しましょう」がモットーの月光仮面も、この糞 & ボッタクリ攻勢を30秒も受ければ、あっさり逆上し、道端のラクダ商人を手当たり次第に捕まえて、往復ビンタを食らわせることだろう。
聖地だからといって、誰もが清い心でいるとは限らない。
写真中央の若者は、御来光には目もくれず、右手の女子トイレを必死に覗きまくり、たまに小躍りしていた。
モーセも草葉の陰で泣いていると思う。