読み込み中 ...
|
||
夏の富士山。
「頭を雲の上に出し」と童謡にあるが、気象条件は厳しく、雲に覆われている日が多い。
雲の上に出ている日数は、高尾山といい勝負なのではといつも勘ぐっている。
「一年生になったら、100人で頂上でおにぎりを食べる」という唄も眉唾だ。
登るとわかるが、富士山は夏でもかなり難易度が高い。
渋滞、渋い山小屋、下界の70%しかない酸素。特にトレーニングを積んでいなければ、身体能力は普段の半分も発揮できず、五合目から1600mの高低差は、六歳児には相当な苦行として立ちはだかる。
100人が登頂できたとしたら、
- 引率のやり方が軍隊なみだった
- 落下傘で空から突き落とした
- もともと母数が1000人だった。900人は山腹で泣いている
のいずれかに違いなく、PTAから槍玉に挙げられる。
日の出を拝むなら、七~八合目が快適だ。
頂上では、激しいラッシュと戦わねばならない。人混みの隙間から辛うじて光が確認できるレベル。
写真もぜんぜん撮れない。ぼんやりメモリーカード交換してると、もみくちゃにされて、手に持ってるのがいつのまにか十円玉とすり替わる。
頂上を神格化せず、「通なら八合だね」と自分を洗脳しよう。
「来てみろ! すごいぞ!」
紅茶の鍋を片付けていると、先輩に大声で呼びつけられた。
冬型の気圧配置が緩み、五日ぶりに現れた青空が、雪と曇り空に慣れてしまった目に、青い塊になって飛び込んできた。
八甲田が三十秒だけ見せてくれた贈り物。
冬山の晴れ間は貴重だ。合宿に占める時間的な割合は0.1%に満たないこともある。1日あたり1分ちょっと。工学部の女性比率より低い。
しかし、0人と1人ではえらく違うのと同様、その0.1%が合宿の充実度に与える影響は大きい。
0分なら、リーダーは罵られ、合宿は黒歴史として封印されるが、1分なら、輝かしい青春の1ページとして生涯自慢できる。
もっともその結果、山の魅力にとりつかれ、卒業後も山に没頭 → 社会人ドロップアウト → 日常生活が黒歴史となる。
どちらにせよバッドエンドな魔の山。
夏と冬の難易度が、世界でもっとも違う場所のひとつ。
夏しか登ったことがなければ、豹変ぶりに驚くだろう。雪に覆われた白銀の円錐。近くで見るとまるで鏡張りの板で、メタリックに輝いている。そしてほぼ無人。
山頂では、気温は氷点下30℃まで下がり、風速30メートル近い風が吹く。即死は簡単だ。
体がふわりと浮く風も、割と普通に吹く。風を感じて一秒以内に対風姿勢をとらないと、駿河湾までふっとばされる。
景色は素晴らしいけど、カメラを構えてるときに風が来たら死んでしまうので、写真を撮れる機会は少ない。スカイダイビングで使うような口でシャッター押せるカメラがあれば、持って行くといいだろう。
季節はずれの台風が襲来し、剱岳にアタックできる機会をキャンプ場で悶々と待っていた。
台風から南に延びる厚い層積雲が北アルプスを覆い、登頂は絶望的。景色も期待していなかった。
しかし何気なくテントを出たら、最高の景色が現れる所だった。おもむろにカメラを取り出し、構図と絞りを充分に確認し、シャッターを切る。
ひとしきり撮った後は、自分の日頃の行いの良さと、山に惚れ込む時間が、たっぷり待っている。
屋久島北面の山腹に、白谷雲水峡という渓谷がある。「一ヶ月に35日、雨が降る」空模様が作り出す川面だ。
この水が、とてつもなくうまい。
川は普通、下流に行くと濁流と化すが、屋久島では、麓の方が、砂っぽくなく、おまけにほのかに甘い。臭みも無い。
体力の許す限りボトルに詰めて持ち帰り、生活費の足しにしよう。
屋久島の森に足を踏み入れた登山者は、高密度の緑色に圧倒される。
木の幹や地面がびっしり苔生し、梢ごしの陽の光が、緑色に見える。360度の迷彩色。
なので万一、登山道から外れてしまったら悲惨である。進むべき方向がまるで判らず、簡単に遭難する。
小便とかで森に入るときは、凧糸を伸ばしてゆくか、小便で軌跡を描きつつ深入りするとよい。
花之江河(はなのえごう)という湿原。
色とりどりの苔と花が咲き、宮之浦岳からヤクスギランドに抜けるトレイルのハイライトだ。
写真では判りにくいが、苔と岩の間に、網目のように水が流れている。
澄んでいる。屋久島の水の例に漏れず、飲めばおそらく美味だろう。しかしちょうど、丸薬みたいな黒い玉 たぶん屋久鹿のうんこ がパチンコ玉のように転がり落ちてゆくのが見えてしまい、激しい葛藤と戦わねばならなかった。
心ない登山者の捨てたゴミや、狂った登山者の餌付けのせいで、山小屋の近くにも現れる。油断すると、ザックに隠した食料をすべて奪われる。
自分は、おやつ食べてた所を襲われ、大事に持ってきたいちご大福をグシャグシャにされた。
奴らのテリトリーだから、謙虚さが必要なのは理解できるが、鼻の穴にわさびチューブを押し込むくらいのプチ復讐なら、もののけの姫も許してくれるだろう。
ここから4ページに渡り、屋久島と、台湾・玉山國家公園の写真がランダムに並んでいる。
どっちがどっちかお判りだろうか。(写真にマウスオーバーで正解表示)
屋久島は、日本の世界遺産でいちばん認知度が高いと思う。飲み会でも、知らない人に会ったことがない。
しかし、羽田から往復すると交通費が余裕で8万円を越すことは、あまり有名でなく、台湾に行くほうが安いと知ってぶったまげる人が後を絶たない。
屋久島と台湾の植生は酷似している。山に茂る、ふっとい杉林のたたずまいも、実に似ている。目隠しして連れて来られたら、識別できる自信がない。
スターバックスとエクセルシオール並みにまぎらわしい。
台湾は、いまだ世界遺産が一つも無い珍しい地域だが、これは中国共産党の横槍で申請できない為だ。イザ出せる時が来たらすかさず実行に移せるよう、候補地の整備・保護には余念がない。
世界遺産指定の早期実現を主張する活動家も、世界中にいる。
台湾には、「世界遺産」のタイトルこそ冠さないものの、レベル的にはそれに匹敵する場所が揃っているのである。
従って、旅の目的が単に「もののけ姫みたいな森を見たい」で、羽田や関空の近くに住んでるなら、台湾も選択肢に入れよう。
雪山でよく敗退する。天候不良が原因だが、だいたい年平均で、10回中6回は途中下山している。
お世話になっている登山ガイドさんに、「雪山の成功率って半々がいいとこなんすかね」と聞くと、笠井さんが雨男過ぎるんです、と指摘される。私が不参加の回は、8割方成功しているとの事だった。
空の恵みは平等のはずなのに、このアベレージを叩き出す私。いい30代を迎えられますように。
雪庇(せっぴ)は、西高東低のとき吹く西風の力で、稜線上にもりもり成長する。登山者に、本当の稜線の位置を錯覚させ、踏み抜き事故を誘発する。
快晴なのに、空との境には、雪煙がいつも荒れ狂っている。トラップ大増刷出来。
背後に鹿島槍ヶ岳。現物も巨大だが、人間が一緒に写っていると、遠近感が強調され、より Big に。
雪煙は、10階建てのビルくらいまで舞い…
テントがみるみる埋まってしまう。
周囲に防風壁(雪)を築いているため、ちょうどコップにかき氷を注ぐような感じ。6人用テントも、夜間、次第に圧縮され、実質4人分のスペースしか残らない。テントの両端に寝た者から順に、犠牲となる。
寝てるだけでも体力を使うが、設営と撤収はもっとタフで、いつ終わるとも知れない試練。
設営も撤収も、まぶたが凍って板になり、眉毛と鼻毛からはツララが生える。
上下のまつげが まばたきの拍子に癒着する事が、もっとも恐ろしい。無理に剥がすと、毛根から抜けるのだ。
下山後、登山服のままマツキヨの化粧品コーナーで泣きながらつけまつげを探したのが、今まで経験したどの山より、精神的につらかった。
やっと設営したテント。狭いながらも、黄金の御殿。
極限状態の山男達は、肉をもてあそび暖を取った。(伊藤ハム・アルトバイエルン)
大キレット北端の山小屋。談話室のノートには、登山者の期待と覚悟と感激が、ぎっしり綴られている。
顔も知らない登山者が綴った文を読み、彼らの期待と感激に触れ、我がことのように嬉しくなれる南岳小屋。
北アルプスの基幹縦走路のひとつ「表銀座」に置かれたインスタント便所。
臭い・暗い・汚いと 3K 揃った山のトイレに軟禁される罠。拷問もいいところだ。ペンキを準備して警告を書く暇があったら、戸の立て付けを直してほしい。
ひょっとすると、人の断末魔を聞くのが趣味の人が設置したのかもしれない。
二ヶ国語で注意を促している点は良心的だが、例えばイタリアや韓国からの観光客が罠にはまってたらどうしよう。
念のため、「哀号」とか「朋友」とか聞こえてこないか確認してから通過する。
日本独自の登山形態・沢登り。
足回りがワラジになる他は、用いられる道具や技術はロッククライミングに似ている。
違うのは「渋さ」 だろう。沢は、壁に挟まれた閉塞的な景色が続く。PS4版のドラクエ11のフィールドを想像すると判りやすい。
夏至の頃でも、日照が一日二時間以下の箇所が多い。それでさえ、梢に覆われて心もとない。
視界を楽しませてくれるのは、ひたすら苔やシダ、そして幽谷美だ。
たまに、ヒルやマムシ、オタマジャクシの大群などが現れるので、気が抜けない。
「日本らしい景色を紹介してほしい」という外国人がいたら、ぜひ連れて来てあげたい。
丹沢山塊に、玄倉川 (くろくらがわ) というのがある。1999年8月14日、大雨による増水で、河原でキャンプしていた13名が自爆した川だ。
ここ同角沢は、その現場から10km上流。玄倉川の右岸から分岐する、細い、やや急峻な谷だ。
水量は少ない。大雨が降った翌日でも、あまり遡行に支障はない。
とはいうものの、取り付くには玄倉川を渡渉しなければならないので、増水時のハードルが高いことには変わりがない。
この沢のセールスポイントは、比較的簡単に、エキサイティングな懸垂下降が楽しめる所にある。
滝は四つあるが、最大落差が40mくらいなので、ザイル二本連結が確実だ。でも入渓点の小滝を楽しむだけなら、一本(50m)で充分だろう。下が適度に深い滝壺になっていて、最後は水泳大会になる。
東京サマーランドと違って入場料もかからないし、猛暑の日にオススメです。
唯一の欠点は、駐車場から入渓点までが長いことだ。車は、丹沢湖から5km上流までしか入れず、そこから片道一時間、林道を歩かねばならない。日帰りにしてはオーバーヘッドが大きい。
一泊二日の場合、車を乗り入れられる裏技がある。ユーシンロッジに泊まるのである。ここを予約しておけば、玄倉バス停の前にある商店で、林道を封鎖しているゲートの鍵を借りることができる。(2005年現在)
上流に集落が無い玄倉は、驚くほどキレイな流れをたたえている。空気も澄んでいる。そして虹が出やすい。
景色は一級品なので、キャンプだけでも楽しめるはずだ。
ロマンチックな夜を過ごすためにも、ここが怪談 (の題材) のメッカという事実は、帰宅するまで伏せておいた方がよいだろう。
父島の西岸沿いに、タクシー(船)でちょっと下った所にある、小さな無人島。
白い砂浜に紺碧の海。群れる熱帯魚。まさにパラダイスだ。東京都にこんな場所があると知ってぶったまげる人が後を絶たない。
小笠原諸島を揉み洗う黒潮が、長い年月をかけて、南島に穴を空けた。ここから新鮮な海水が常に供給され、島の内側は、熱帯魚の楽園の相を呈している。
人間にとっても楽園である。
しかし、引き波が異常に強烈なので、私の度胸と遊泳能力では、怖くてこれ以上奥へ行けない。ここがギリギリの立ち位置だ。
一歩でも踏み外したら、サイパンまで流される。
実際、けっこう怖い思いをさせられて、泣きながら陸へ上がった。
「山屋が海で楽しむべきじゃない。やっぱり花はいいなあ」と、舌打ちしながら愛でるハイビスカス。
イルカもいる。彼らは友好的で、危険はない。そして、瞳も鳴き声も愛らしい。
「山屋は動物を愛するべきだよなあ」と、ふたたび魔の海に飛び込む、
一緒に泳げる。もちろん、遊泳能力が人間と桁違いなので、慈悲で泳いでもらってるだけだが、癒し系の最高峰と思う。
水中に顔をつけると、彼らの、猫とバイオリンを掛け合わせたような独特の鳴き声が聴ける。水の中で笑顔がこぼれ、息継ぎも忘れてしまう。
小笠原の海には、鮫も現れる。
イルカと間違えて飛び込んだらヤバいので、尾びれの向きとか、ちゃんと指差し確認してからダイブすべきだ。本当の天国に行ってしまう。
九月下旬の双六池キャンプ場。
午前二時ごろ、人間の歯ぎしりのような音が、テントの外でギリギリ鳴り響いていた。霜柱が成長する音である。
小学校低学年の頃はよく見たけど、最近とんとお目にかからない。
童心に返り、滅茶苦茶に踏み荒らして感触を楽しんでしまった。後から来たチビッコ達、すまん。
見た目がとても分かりやすい。登山に入門し、富士山の次に覚える山だろう。
初めて登ったとき、こんな場所がこの世に存在するのかと驚愕し、以後、毎年訪れている。
槍の穂先から東西南北に延びる四つの「鎌尾根」は、どれも地殻がうねうね顕出している。岩を掴んで蹴って、高度感に股間を縮めながらぴょんぴょん岩を飛び回る作業を、丸一日楽しめる。童心に帰れることおびただしい。
富士急ハイランドも好きだが、鎌尾根は、並ぶ必要と時間制限がない点で、どの絶叫マシンにもひけをとらない。
もちろん今年も登りに行きたい。三脚とカメラを携え、納得行くまで撮り続けられるフィルムと電池をザックに詰めて、孤高に登るのだ。
しかし、山と酒とに理解のある気の置けない仲間と、ベタなこと言い合いながら登るのも悪くない。
十一月下旬、槍ヶ岳に衝動登りしたら、超快晴。
飛行機雲が一時間近く拡散せず残るほど風も弱く、写真のような風景をじっくり堪能できた。
山頂からは360度の展望で、もちろん富士山も見える。
オフシーズンのせいか、徳沢から槍ヶ岳まで誰ともすれ違わず、多分世界中で自分しかこの景色は知らない。
極たまにこういう幸運に恵まれるので、たぶん普段は、雨男の地位に甘んじなければならないのだろう。
安曇節という民謡がある。
ハァ槍を下れば 梓の谷に
宮居涼しき 宮居涼しき神垣内(かみこうち) 神垣内 神垣内
槍ヶ岳=神の垣根。文字通り、畏怖に満ちていて、鳥肌が立って、金玉が縮む。
槍沢付近にて。
冬に備えてか、日光や厳島のニホンザルとくらべ、ずいぶん肥えている。毛も驚くほど毛深い。そして何より、こっちの持っている食料を、すごい勢いで奪いに来る。いずれも、アルプスの厳しい冬を乗り切る知恵だろう。
「人間も動物だし、冬になると毛深くなって体重増えるよね!」という説明の妥当性を感じられる。
槍沢は広い谷なので、日当たりがいい。降った雪もすぐ溶けてしまい、11月の段階では、まだ貴重品である。
ただ、服装が山頂アタック用に冬山装備なので、行動中はそこそこ暑い。だから、木陰に「雪だまり」を見つけると、小躍りしたくなる。すくって食べるのだ。
レディーボーデンよりうまい。プレーンで充分おいしい。練乳もレモンの砂糖漬けもいらない。 (あったら喜んで食べますが)
食べ過ぎるとありがたみが薄れるから、三十分に一回と決めている。この頑強さが、老人性の快感に繋がり、ますますおいしくいただける。
ときに辛い登山もあるけど、最終キャンプ地で、この焔を肴にすれば、苦労は浄化され、よい思い出だけが残る。
とどまる所を知らず感極まり、メンバーの連帯感は、叫ぶだけで涙が出るまでに膨らんでいる。
移動性高気圧に覆われて征服され日和の谷川岳界隈。
稜線の先にある谷川岳は、生クリームを塗ったケーキのようだ。独立峰で、こういうこんもりした雪化粧って、あんまり見たことないせいか、異世界に連れてかれたような気分になる。楽園のようにも、地獄のようにも見える。
冬眠明けの熊にヤラれることもなく、頂上に着いた。
谷川岳って、もっとガチガチにクラストしたアイピケの殿堂みたいな所を想像していたが、普通にラッセルで超がっかり。
尾瀬ヶ原に、七入から至るハイキング道は、里山の笹原歩きから始まる。
笹以外の植物はなぜかか立ち枯れ、道の脇には腐った木の幹が何本も倒れ掛かっている。
この幹に根付いた苔が、ことごとく個性的に異彩を放っている。「もののけ姫」を思い出しながら、地を這うように食い入って眺める。
日本は、国土の70%が森林といわれている。
ただし、うち6割(国土の40%)は人工林で、そのほとんどは、成長が早いという理由で植えられた、スギ、ヒノキなどの針葉樹だ。
つまり、天然の針葉樹も含めると、紅葉の見られる場所は、日本の三割に過ぎない。意外とレアだ。
また、紅葉が美しく育つ条件として、「日較差が大きい」「日照時間が長い」「多湿」などがある。
標高3000メートル級の山岳地帯は、これらを満たし、かつ植林に遭うこともなかった絶好の紅葉スポットになっていることが多い。
山梨県・鳳凰三山もそのひとつ。
ふつう紅葉は、我々の頭上に広がるが、背の低い高山植物が多い山岳地帯では、足下に展開される。
手で触れるのが最大のポイント。しかし時々、カモシカのうんこが保護色で混じっており、気が抜けない。
有名な有毒植物。南アルプスの沢筋などに、わんさか生えている。
色鮮やかで美しいが、蜜や花粉にも毒が含まれ、蜂蜜でも中毒例がある。地獄のお花畑である。
毒の主成分はアコニチンといって、嘔吐や下痢・呼吸困難などから死に至ることもある。
とはいえ、むしゃむしゃ食べたりしないかぎり、特に害はない。美しい外観を満喫しよう。
学生時代、何人もの後輩を山に連れてきたが、トリカブトを初めて見た奴の反応はだいたい同じで、
「おお、これがトリカブトですか」 「鶏っぽいですねぇ」と感激し、食い入るように写真に撮る。
そして、「ぜひ誰かに一服」と葉を摘みはじめようとする。油断の隙もない。
毒殺以前に、国立公園での植物採取が犯罪だ。
盛る側にも、盛られる側にも廻ることなく、中庸に世間を渡っていきたいと思う。
ユリ科の植物。名の通り、ふだん食べるニンニクの仲間だが、健康食品として、通販のラインナップにしばしば現れる。
と、どの通販サイトでも、両手放しの褒め方をされている。
そのぶん値は張る。名前からして、前人未踏の山奥でないと取れなさそうだし、実際そのようなプレミアつき食材として、中華料理店などへ出荷されている。
だが、実は車で行ける場所にも自生している。ガソリン代さえ出せば、血液サラサラへの道は遠くない。
普通のニンニクと違い、葉の部分を食べる。でも香りはしっかりニンニク。しかもかなり強烈だ。
群生に足を踏み入れたとたん、強烈な匂いがたちこめてくる。歩くだけでよだれが出る。
「今夜はこれが食べ放題」と考えながらニンニク狩りしてると、腰痛も気にならない。至福の雑用。
スーパーの袋いっぱいにつみ取る。
しかし、一つの株から生えている葉をすべて取ると、株そのものが枯れてしまう。枚数に気を配り、モラルある採り方を心がけねばならない山菜だ。
葉の数は、毎年少しずつ増えてゆき、葉が一枚の物は一年物。すなわち、あなたのモラルに命運が掛かっている。
葉が残っている株に関しては、一雨降れば、すみやかに再生する。旬の時期なら、一晩かからない程の再生能力だ。
うまく利用して、末永く食べていけるようにしましょう。
肉と共に炒める。レトルトのジンギスカン肉などと相性が良い。
写真で緑色に写っている部分すべてから、ニンニクの香りが漂ってくる。腹が減ってたら拷問だろう。
服や、テント内の登山道具も、食欲をそそる匂いに染まり、帰宅後は、残り香を晩のおかずにできる。炒めるのに割り箸を使ったら、その割り箸は食べてしまえる。
食感はニラに似ているが、繊維のじゃまっけ感がずっと少なく、食べやすい。もりもり食道に流し込める。一気にかっ込むときもちいい。だから、鍋から直接食べるのがいい。
今まで口に入れた野菜の中で、もっとも完璧な歯ざわりだ。「ほうれん草のおひたし」を、がっつり食べたとき、みずみずしい歯触りと音がするだろう。あれの100倍気持ちいい。
食べてる時の写真は、とてもそれどころじゃないので撮れない。
冬の八甲田。風速20mの暴風で、木々に雪が圧着されて出来た、俗称「モンスター」。特に、たわわになった枝の部分は「海老のシッポ」と揶揄される。
食糧事情が劣悪な冬山登山では、これを見るとお寿司が食べたくなって、ホームシックにかかる。計画を放棄して下山したくなる。そんな時に限って寒冷前線がやって来て、三日三晩、吹雪に閉じこめられる。カロリーメイト以外、何も口にできなくなる。
海老のシッポ 回転寿司で、皿を積むとき邪魔だったり、天ぷら作るとき、いちいち先端を切って水抜きしないと油が跳ねるとか、山でホームシックの原因になったりと、地味に人の神経を逆なでする物体。
南アルプス・白根御池小屋から少し下ったところに湧く、小さな天然の水場。
入山前にコンビニで買った「南アルプス・天然水」のボトルに、再度、南アルプスの天然水を封入する。いくら汲んでも0円。
しかし本当に天然なので、油断すると羽虫などがボトルに混入することがある。窒息する前に助けてやりましょう。
してみると、真の意味で「天然」を名乗るなら、1000本に1本くらいの割で、落ち葉や昆虫がランダムに混ざっていたほうが天然水としてリアルかもしれない。春はトカゲのしっぽ。夏はゾウリムシ。冬は冬虫夏草のエキスで季節感を演出するのだ。
どこまでバレないか、いつか会社の上司とかを実験台に試してみたいと思う。
2009年7月22日。予報とは裏腹に快晴の、母島沖20マイル。18人乗りの小型ボートに身をゆだね、天体ショー鑑賞。
水平線が360度夕焼けに染まり、頭上は深いぐんじょう色で、日没直前のように暗くなる。
カメラの露出の関係上、太陽の背後は真っ暗に写っているが、実際に肉眼で見ると、濃い青色をしており、コロナの放射距離も、この三倍くらい長く感じる。
ちょうど東宝のオープニングロゴがイメージに近い。
コロナ放射の前後、20秒だけ拝める光景。
ボートの18人全員、演技なしにキャーキャー叫び、首を90度曲げた姿で甲板を走り回った。
「日食のとき、野生動物が変わった行動を取ることがある」と書物で読んだが、人間も動物なんだよなと意識の0.1%で考えながら、残り99.9%にダイヤモンドリングを焼き付ける。
あまりに現実離れした光景のせいか、思い出でなく、白昼夢として脳に刻まれた。
感激で涙が止まらない。
三十過ぎると、高いとこから飛び降りるような機会も減って、公園の滑り台にも怯える始末だが、下が透明度30mの海だと、我々もまだまだ、本気を出すことができる。
バク転で紺碧の珊瑚礁に身を投じる。
ただ、関節の柔軟性は子供の頃からかなり低下しているので、首から海面に叩きつけられるような落ち方をすると、数日何もできなくなる。
小笠原には、温泉とか大浴場的な施設がないので、回復には長い時間がかかる。
某地元ショップの話では、父島におけるイルカツアーでのイルカ遭遇率は、99.7%に達するそうだ。
1000回海に出れば、997回は肉眼でイルカを見ることができるのだ。
残り三回にあたる率は、サマージャンボを三枚買って10,000円を当てるのと同じなので、もしイルカにまったく遭遇できなかったら、9,100円落としたくらいの精神的苦痛を感じることだろう。
おがさわら丸の運行ダイヤの都合上、小笠原の滞在日数は、盆・GW・年末年始を除き 3+6n
日(n
は 0以上の整数)が原則なので、ツアーには複数回参加するチャンスがある。金はかかるけど。
三日連続でイルカに遭遇できない確率は 0.0033 = 0.000000027
。つまり一億分の三以下だ。宝くじを一枚買って一等を当てるより、さらに三倍くらい難易度が高い。
逆にツアー会社からも、かわいそうな人だと同情されて晩飯くらい奢ってもらえるかもしれない。
オレンジ色には、人を惹きつける性質があると聞く。
だから西荻窪駅(中央線)のホームには、自殺防止の標語が書かれたポスターが貼ってあるのだそうだ。
小笠原でも、花・夕焼け・ショットバーなど、オレンジで彩られた場所は、いつも人で賑わっている。
ゴレンジャーなどの戦隊物に、オレンジがいないのはなぜだろう。
同じく人気のあるピンクは定番なのに。
「オレンジレンジャー」だと ORANGE RANGE と商標が被るから、あえてテレビ朝日が避けているのかもしれない。という結論で、この日のバーは盛り上がった。
二見桟橋を竹芝にむけ離岸する「おがさわら丸」を、ツアー会社のプレジャーボートで見送る。
はなむけの言葉は、
三十すぎてから、涙腺が急に緩くなった。
ドラえもんでのび太のおばあちゃんが出ると、おばあちゃんが死ぬ前から目が潤む始末だ。最近は、コンビニで立ち読みするとき、おばあちゃんの出る回だけ読み飛ばすようにしている。
見送りで「さようなら」と叫ぶと、最近は涙腺の口火を切るようになってしまった。恥ずかしい。
見送る時は、海に飛び込んで誤魔化せるからよいが、帰る時は、都合よくスコールが降るのを祈るしかない。
「いってらっしゃい」「いってきます」に置き換えるのは、30過ぎの世代にとって合理的である。
小笠原では古来から食材として珍重され、スーパー小祝の肉コーナーにブツ切りで並んでいる。アオウミガメなのに赤身である。
適当に切って刺身や味噌煮で食べると、口の中がヤギみたいな獣臭さで充満し、これは極めて旨い。歯応えは、サラミの丸かじりに似る。
村の居酒屋や祭りの縁日では、もっと生々しいモツ煮も出る。
小腸(ミノ)は、牛のそれと似ているのでなんとなく見当がつくが、ほとんどの肉片は、もともと体のどこだったのか、さっぱり分からない。
アオウミガメの名に恥じない、青黒いゼラチン質も入っている。友達や家族連れでわいわい食べれば、小一時間は楽しめるだろう。
棘皮(きょくひ)動物 ─── ウニ・ナマコ・ヒトデなどのうち、ウニは、その生殖巣が高級食材として流通し、また美味なものとして世間に認識されている。
ナマコも、嗜好にやや個人差はあるが、特に酒飲みに欠かすことのできない冬の肴だ。寿司屋でいつも頼んでしまう。
なのでヒトデも食べられないだろうか。
手元の「海の味-異色の食習慣探訪-」(著/山下欣二・八坂書房・1998)によると、「生の黄ヒトデは、ウニを思わせる味の後に、苦みが口に広がった。焼ヒトデは、熱を加えた分、味が柔らかくなった」とある。なんとなく日本酒の供になりそうだ。
小笠原は、素人でも釣りは入れ食いになるほど魚が豊富なので、食材にはあまり困らない。
肴を現地調達できれば、長期滞在時の予算節約に大きく寄与すると思うので、どなたか、味見にチャレンジしていただければ幸いです。(毒味を含め)
ちょっと悪い夢のような、シュモクザメ(ハンマーヘッドシャーク)もぞくぞく現れる。
手元の百科事典を見ても、このサメが人を襲うのかどうか、出版社や版によって記述が異なり、はっきりしたことが分からない。たぶん、まだまだサンプル(事故例)が充分でなく、コンセンサスが固まっていないのだと思う。
なので、もし襲われても「話が違うよ!!」と逆ギレできない。自己責任のサメだ。
でも周りのダイバーさん達は、うれしそうにカメラ片手に海に飛び込み、写真撮影に余念がない。サメから1mの距離でバシバシ撮っている。
ところで登山の世界では、シュモクザメと同じくらいの体積(たぶん)のツキノワグマを回避するため、ありとあらゆる施策がなされ、出会ったときは死ぬときと思えくらいの印象操作が行われている。
いきなり山で遭遇して写真を撮りはじめる奴は、一万年にひとりもいないだろう。この差はいったい何なんだ。
父島のジャングルに現れる野ヤギも、
と、人気者であるイルカと共通点だらけなのに、ひたすら地味な扱い、むしろ邪魔者扱いされているのは納得がいかない。山に対する差別だと思う。